凍えるツバメの幸福6

6.ダイアモンド

僕らの記念日は僕に言いようのない活力と高揚感をもたらしていた。

精力的に各施設を慰問し会社のパンダとしての役割を満喫した。

花森も満足そうに子供や患者たちと触れ合う僕を見つめている。

 

だけど・・・

僕らにはもう一つの目的があった。

再び『記念日』を作ること・・・。

最悪の言い方をすれば僕はさとるが気にいる人間を「物色」していたのだ。

でも、なかなかさとるのお気に召す人は現れない。

 

僕は気を使ってこわばった体を休めるため花森が病院の関係者と話している間、屋上に設置された空中庭園へ足を延ばすことにした。

ここの空中庭園は病院の目玉の一つで薔薇のアーチや色とりどりの花壇、敷き詰められた芝生と空の広さのコントラストがパパのこだわりを見せつけていた。

はじめて足を運んだけど僕のお気に入りになることは間違いない。

家の庭にちょっと似た趣があり髪をなでる風と夕焼けに近づく日差しの眩しさが心地いい。

 

僕は伸びをしながら庭園を囲むフェンスに向かって歩いていく。

するとフェンス越しに空を見上げる車いすの女の子の後ろ姿が見える。

入口からは葉をつける木の陰になって見えない位置だった。

患者か・・・

僕はこわばりのようやく溶けた首の後ろをさすり、戻ろうかどうか足をとめた・・・。

・・・ま、ひとりだし・・・いいか。

僕は軽い気持ちで少女に近づく。

「こんにちは」

僕が笑顔で声をかけると少女ははっとしたように振り返った。

 

瞬間、さとるの鼓動が跳ね上がった。

いや、跳ねたのは僕の鼓動だったのかもしれない。

 

少女の長いまつげと病人特有の白い肌は僕がマスターのところで見たどんな人形よりも美しかった。

まつげが瞬くたびに僕にはそこから星が生み出されるような感覚を味わう。

「こ・・・こんちは・・」

消え入りそうにつぶやいた声が僕の耳をくすぐる。

日差しだけでは説明できない頬の赤みが引力を帯びて僕を引き寄せる。

僕は少女の隣にしゃがみ込んだ。

目線は僕がちょっと見上げる形になる。

 

「入院してるの?」

僕の目に落ち着かないように手をそわそわさせる少女のいじらしさがうつる。

少女はこくんとうなづく。

「僕は・・・」

「し、しってる・・・亡くなった病院のオーナーの息子さんなんでしょ?」

僕は彼女が僕を知っていたことにめまいのような喜びを感じる。

「うん」

僕の顔はきっと見てられないくらい目じりが下がり鼻の下が伸びていたかもしれない。

「さっき、病室を回っている時にちょっとみえたから・・・」

僕はその時気付けなかった僕を呪った。

「あー、一応自己紹介。僕、さとる。君は?」

少女ははにかむように微笑んで「ゆきな」と答えた。

「・・・ゆきな・・・ちゃん・・・って年でもないからゆきなってよんでもいい?」

まぁちゃん付けなんていくつなってもするけどちょっと大人ぶって答えてみる。

少女は耳までバラ色に染まりながらまたこくんとうなづいた。

「ねぇ、いきなりこんなこと聞いて怒るかもだけど・・・」

僕は上目遣いにゆきなを見上げた。

ゆきなは少し首を傾けてほほえんでくれる。

「ゆきなは…どこが悪いの?・・・あ、ほら・・・えーっと・・・ごめん」

あぁ、最悪。

こんなことなら国語の力ぐらいさとるよりUPしてプログラミングしててもらえばよかった!

でも、ゆきなはふわりとほほ笑んで胸の上で手のひらを重ねた。

「・・・心臓・・・?」

「うん・・・生まれつき・・・。学校も院内学級にしか行ったことないの・・・。」

そういってゆきなは夕日に染まって黄金色に包まれる街の景色を愛おしそうに眺めた。

ドクン。

さとるが再び大きく鼓動する。

『行きたい…』

『この子のところに行きたい…』

わかってる。

「ゆきなは・・・その・・・手術をしたらよくなる・・・とか?」

ゆきなは切ないような苦しいようなでも、今までで一番美しい笑顔で僕に笑いかけてうなづく。

「・・・でも、ドナーもまだ見つからないし、お金もたくさんかかるし…何より確率の低い手術だから怖いの・・・。」

僕は喉を鳴らして唾を飲み込む。

「じゃ、手術ができるようになってもゆきなは受けないの?」

最後の方なんて喉がからからでちょっと声が上ずっていた気もする。

ゆきなは長い髪をさらさらと揺らし首を振る。

「受ける・・・。・・・私・・・望んでるの・・・。みんなが当たり前にしているかけっこや遊びやスポーツを私もしてみたいって…。そのためになら何でもしたいって・・・。お父さんやお母さんがお金を準備できないって言うなら治った心臓でたくさん働いて私が返していこうって思ってる。」

ゆきなは強いまなざしで沈もうとしている太陽を見据える。

さとるの鼓動はもううるさいくらいに早いリズムをつないでいる。

僕はもうゆきなから目をそらせない。

「ゆきな・・・」

ゆきなは照れたようにほほえみ僕と視線を絡めた。

「ゆきな・・・内緒だよ?僕、ちょっと病院にお願いしてみる。ゆきなが一日でも早く手術できるようにお願いしてみる。でも、このこと言っちゃダメだよ?えこひいきになっちゃうから?」

僕はいたずらっぽくわざと大げさにウインクをしてみる。

ゆきなはふふふっとはじめて声をたてて笑う。

僕らの鼓動は舞い上がるように跳ねあがっていく。

「暗くなってきたね。肌寒くなったみたいだ。送るよ。」

僕がそういうとゆきなは最初の時のそわそわがウソみたいにまっすぐな視線で「ありがと」と笑う。

僕はゆきなの車いすを細心の注意で丁寧にでも手早く押す。

庭園の入口に向かうとちょうどエレベーターから出てくる花森の姿が見えた。

僕にかけよると花森はゆきなに軽く頭を下げると「遅くなりました」と謝る。

僕はいつもよりずっとやさしい声色で「気にしないで」とほほ笑む。

「おかげで僕ら友達になったんだ。」

そういってゆきなと視線を交わす。

 

帰りの車の中、僕はつぶやいた。

「彼女に心臓と手術費用の寄付をする。」

花森はあわてて車のブレーキを踏み、道路横に車をとめた。

「この前のことだけではなかったのですか?」

僕は花森と視線を合わせることなく窓の外を通り過ぎていく車を目に写している。

「僕は今回だけなんて言った覚えはないよ。」

「そんな・・・」

花森は運転席と助手席の間から身を乗り出してくる。

「しかも手術費用まで・・・」

花森はおろおろとして助けてくれる人もいないこの空間で誰かを探すみたいに視線をまわす。

僕はそんな花森を強く見据え…というより睨みつけた。

「彼女を救いたいんだ。これは僕とさとるが決めたことだ。ねぇ、お願いだよ。力を貸してよ!」

僕は花森の襟にしがみつきゆすった。

花森のみけんには深いしわが浮かび、顔には苦渋の色が浮かぶ…。

花森は僕を見てそっと頭をなで抱きしめた。そんなことは僕の記憶でも、初めてのことだ。

「それが・・・坊ちゃんのご意思なら…。」

僕は喜びのあまり花森に抱きついて笑っていた。

「また、IDEAにお邪魔しなければなりませんね…。」

花森は頬をかく。

「今度は廉の機嫌がいいといいね。」

僕はいたずらっぽく微笑んだ。

 

さとるの心臓はとても穏やかに規則正しい鼓動を僕に送っていた。