凍えるツバメの幸福3

3.ぼくらのおもいつき

僕は花森に連れられてアイサコスの経営する病院に来ていた。

ここにある小児病棟を見舞うのが目的だということだった。

僕はここに来るとき必ずパパが持ってきたという風船を両手に抱えふわふわとおぼつかない足取りで花森についていく。

パパは子供たちの育成に力を入れており保育園、児童養護施設、小児病棟は大きな軸となっていた。

社名のアイサコスも「愛を咲かす」からつけたと花森が話してくれたのを記憶していた。

 

病院では小児病棟担当の看護師さんがついてくれ、院内を案内してくれた。

白とベージュを基調にし、木材を多く使った内装はぬくもりと清潔感を感じられる温かなものだった。

花森が『ここの内装は社長がとてもこだわって最後まで悩んでお決めになった自慢のものなんです』とささやいた。

「こちらになります」

やわらかくほほ笑む看護師が「うさぎるーむ」と書かれた部屋の前にとまる。

各部屋には動物の名前がふってあり、小児病棟を○○号室という呼ぶのをパパが嫌ってつけたと説明してくれた。

「みんなー、今日はおきゃくさんがきてくれたよー」

そう看護師さんが声をかけると僕の周りにはわっと子供たちが集まる。

おそらく事前に僕が来ることが伝えられ動ける子供はみんなここに集められたのだろう。

「お兄ちゃんは風船おじちゃんのお友達?」

おかっぱ頭の女の子が僕のシャツの裾をつかんで首をかしげた。

花森は膝を折ってしゃがみ女の子の目線に高さを合わせた。

「んーおじちゃんはちょっと海の向こうに行っててこれないから今日は風船お兄ちゃんが来ました。」

女の子はニコーっと笑うと僕に風船をねだった。

僕も花森のマネをしようとするがふわふわして落ち着かず腰を折って出来るだけ視線を下げるのが精いっぱいだった。

女の子は僕から風船を受け取ると嬉しそうにくるくると回った。

僕の手からはあっという間に風船はなくなり、病棟のあちこちにカラフルな風船と子供の笑い声が広がりなんだか楽しい気持ちになった。

花森はそんな子供たちの様子を見て微笑んでいる。

花森は僕が引き取られてすぐにパパの秘書としての仕事の傍ら僕の教育係も引き受けて長く共に過ごしていた。

でも、子供たちをいとおしそうに見つめるのはいつも見せる笑顔とは少し違くてちょっと新鮮だった。

 

僕は再び看護師について子供たちの話を聞いていく。

すると先ほど僕に最初に話しかけてくれた女の子が僕の足にまとわりついてきた。

僕は女の子の身体をそっと離すと今度はちゃんと膝を折って少女に目線を合わせた。

女の子は声をあげて楽しそうに僕の背中にのしかかる。

そこに僕より少し幼い12歳くらいの男の子が駆け付け、女の子を離す。

女の子はいやいやをするようにぐずり始める。

「あ、僕は大丈夫だから…」

少年はきっと睨むと女の子の手をつかんだ。

「じゃ、あんたこの子のずっとついていられんのか?」

女の子はまだいやいやをして男の手を離そうと必死になってる。

「え・・・あ、いや・・・」

「ずーっといてくれもしない癖にお前らはふらっと来て猫みたいに甘やかして撫でまわして飽きたらかえるんだ。残された小さい子らがどんだけ泣くのかお前ら知らんで自分らの都合で甘やかすな。」

男の子はさとるにそう噛みつくと女の子を連れて病室へと入って行った。

「すみません。」

ポカンとした僕に看護師は頭を下げた。

「いえ…」

僕はハッとして腰を上げた。

「あの子はかずお君って言いましてここにもう10年以上入退院を繰り返す古株さんなんです。面倒見のいい子で小さい子らの面倒をよく見てくれて…。長い分小さい子の気持ちもわかるみたいで・・・。本当にすみません・・・。」

男の子の言葉を頭の中で反芻され、僕の心にに新鮮な風を送っていた。

「あの…」

僕は男の子の消えた病室を見つめたまま、看護婦に訪ねた。

「彼の病気ってなんですか?」

看護師は小さく耳元で話す。

「腎不全なんです…。移植すれば問題ないんですが中々子供のドナーとなると難しくて…。」

腎・・・移植・・・

僕の中の「さとる」がはじめて声をあげた…。

【僕・・・あのこのところに・・・いきたい・・・】

僕はごくりと生唾を飲んだ…。

【僕・・・あのこのところに・・・行きたい・・・】

僕の中で違和感を持ち続ける「さとる」が僕の身体を出ていきたいとささやく・・・。

僕の中の「さとる」は機械との適合を図るため臓器に特別な処理を施していたが、それは臓器提供の不適合リスクを減少させる最先端の医療技術の応用だったと記憶していた。

「さとる」を追い出す…いや、当人が出ていきたいと欲しているのだ…円満な合意…。

とても恐ろしいけど実に「僕」と「さとる」らしい思いつき…。

もしかしたら「さとるの臓器」も「僕」に違和感を感じているのかもしれない・・・。

 

僕は渇いた喉で「そうですか・・・」とつぶやいた。

 

【僕・・・あのこのところに・・・行きたい】

おなかのあたりでもぞもぞする感覚が続く。

 

僕のコンピューターは花森に見つからずマスターのところへ行く算段を付け始める。

僕の・・・さとるの思いが実現可能なのかどうか・・・マスターに相談をしなくては何も始まらない。

僕の目はもう病室から目を離せなくなっていた・・・。