「これ、あげるー。」
そう言って手渡されたビー球。何の変哲もないラムネの中のガラス玉。
考えてみればそれがイチからもらった最初のプレゼントだった。
隣りのマンションに住んでたイチと私は言わば幼馴染という奴だった。歳もイチが1つ上で私はまるで金魚の糞のようについてまわっていた。
兄であり親友でありいたずら仲間であるイチは小さい頃から、そして2人が大人になってからもうっとおしいと思うほどよく私の世話を焼いてくれた。
あれほど昔は同じ目線で見ていた世界が大人になるとこれほど変わってしまうのかと愕然としてしまう。かつての一番の理解者は今では私の一番の不理解者だ。
やれ帰りが遅い。やれスカートの丈が短い。やれ化粧が濃い。
1歳の差は埋められないほどの壁になった気がした。と、言うよりもイチは私より20年も先に歳をとってしまったのではないかと思ってしまう。
『うるさいなぁくそジジィ!』
これが最近一番イチに投げかけた言葉だと思う。
イチの存在が窮屈になったある日、私はこっそり友達の家に無断外泊をした。おせっかいすぎる『お兄ちゃん』からいい加減卒業したかった。
でも
友達とどんなに楽しいおしゃべりをしてみても完全に楽しめない自分。心の隅でなんかもやもやした気持ちが渦を巻いてる。
さっきから無視し続けてるイチからの着信は20分ぐらい前から鳴らなくなった。ホッとしたような、なんか・・・。かばんにつけた古いお守りが気になって仕方がない。自然に手がお守りに触れてしまう・・・。そんなことに何の意味があるのだろう。
「すずー!!」
窓の外から近所迷惑を顧みない大声が聞こえる。
「すずー!帰るぞー!」
「バカイチ!近所迷惑でしょ!」
友達の家の窓から道路を見ると汗だくで、息をハァハァ言わせているイチがいる。
「帰るぞ。」
そう言ってイチが笑う。
何だか知らないけど涙が出る。意味もなくホッとしてしまう。それが私にとってのイチだった。なんだか、悔しいな・・・。
「悪いね。帰るわ。」
そう友達に手を振って部屋を飛び出した。
「バカイチ!お前は私の父親かってぇの。」
そういってイチのわき腹を小突く。昔は並ぶと同じぐらいの背丈だったのに、私はもう、イチを見上げないと話もできない。
「あれ、彼氏気分って俺だけ?」
「・・・。ばーか!!」
なんだ。それでいいのか。
妙に納得のいく答え。
姉妹でもなく、保護者でもなく、お目付け役でもなく・・・。世話を焼くのは私を大切にしてくれるからで、イチなりの独占欲と照れ隠しからで・・・。それでいいのか。あまりにも至極当然な答えを出されて少々、拍子抜け。
カツーン
渇いた落下音にはっとしてお守りを見る。いつもそこにあるはずの小さな小袋は紐が切れておっこっていた。
「あーあ。とうとう切れたか。」
「おまえ、いつでもそれつけてんなー。」
「そりゃそうでしょ。」
そう言って私は古びた小袋をイチに手渡す。
中からでてきたのは古びたビー玉。
「ははっ。お前、物持ちよすぎだよ~。」
「覚えてんの?」
イチは照れたように頭をかく。
「生まれてはじめて好きな子に物をあげたんだ。ほら、お前あん時おばさんに駄々こねたのに結局ラムネ買ってもらえなくてさ~。おれ、なけなしの100円はたいてラムネ買ったのにお前は結局意地はって飲まねぇし。なのに横目でちらちら見るし。んで、ビー玉ぐらいはもらってくれんだろうと思ってね。」
「ははっ。お前物覚えよすぎ~。」
イチの口真似をしてみる。そういう私も結構鮮明に覚えていたり。コロコロなるビー球が羨ましくってしょうがなくてちらちら見てた。そしたらイチがくれるから飛んで跳ねて喜んだ。
あの日見た、ビー球越しの世界を・・・ビー球越しのイチの笑顔を私は一生忘れない。
だって、あのとき幼心にイチのことが好きになったのだから。
「帰んべ。」
照れたようにイチがそっと手を繋ぐ。二人の手の中にはビー球。私は壊れないように、だけどしっかりと手に力をこめた。
ビー球越しの世界は ずっと きらきら。