Dear My Angel

 

Dear My Angel
 
 
 
街はクリスマスイルミネーションに彩られ、舞い落ちる雪は神御子の聖誕祭を祝う天使たちからこぼれた羽のようにも見えた。
 
行き交う人の顔には笑顔が溢れていた。愛しい人の傍らで温もりに酔いしれる幸せそうな人たちの群れ…。僕はいつの頃からかその群れからはぐれてしまった…。
 
お金もなく、家族もなく、ましてや恋人もいない。
 
 
おまけに今日、僕は仕事を失った。
 
 
僕の仕事は画家…。
契約してくれていた画商が、あまりに売れない僕を見限ったのだ。
 
 
世界中が神に感謝し、誰かからの暖かなプレゼントを待ち望んでいるというのに…。神様は僕にとんだプレゼントを届けたものだ…。
 
人々が幸福に浸るこの日、僕は不幸のどん底にあった。
 
 
死ぬつもりだった…。
 
 
知らぬ雑居ビルの屋上に上がり、フェンスを越えた。
 
 
風は冷たく、遠くにはクリスマスそんが見える。下から照らすまぶしい街の明かりが僕を手招きしているようだった。
 
 
 
 
よし、今だ…。
 
『あの、スイマセン…。』
 
飛び降りようと意を決した瞬間に後ろから声がした。女性の声だった。
 
振り返るとそこには髪の長い女性が立っていた…立っていたというよりも浮いていた…。背中にはこの世のものとは思えない真っ白な翼が生えていた。僕は腰が抜け、そこがバランスを崩せばすぐさま天国へいけるような場所だということを忘れて座り込んだ。
 
『あの、自殺なさるのを思いとどまってはいただけませんか?』
 
 『あ、あなた、誰ですか?』
 
 『?』
 
 彼女は何を聞かれているか分からないという顔をした。
 
 『名前です。あなたの名前…。』
 
『あぁ…。名前はありません。あちらの世界ではYR-453と呼ばれてました。強いて言えばそれが名前です。』
 
 『YRってまるでロボット見たいな名前ですね…。』
 
 『そういわれましても…。私どもから見れば統一性のないこちらの名前の方がややこしいと言いますか、なんといいますか…。』
 
 『で、そのYRさんは何でこちらにいるのですか?それ、マジックですか?どこかにカメラとか隠してあるんでしょ?もしくはどこかのケーキ屋の呼び込みですか?』
 
 僕は浮いている彼女の足元を指差した。
 
 
 『マジックですか?そう言ったものは習ってませんが…。』
 
 
 そう言うと彼女はスーッと浮いたままにこちらに近づいた。羽が背中でゆっくりと動いている。
 
 それは音もなく、かといって風もなくゆっくりとはためいている。
 
 
 恐ろしい気もしたが何せ腰が抜けていて思うように動けない。
 
 
 『このような主の御子がお生まれになった記念日に自ら命を断つなどお止めなさい。』
 
 『そんなのあなたに関係ないでしょ?』
 
 僕はふーっとため息をつく。
 
 『関係あります。私は主につかえる天使です。こういった日に自殺をする人間は向こうでは不吉な魂として扱われます!思い直してください!』
 
 『生きててつらい人間を死なせないのが『天使様の正義』なのですか?お金もない、身内もいない、恋人もいない、仕事も失って生きることが苦しみでしかない人間を受け入れないのが神の国なのですか?』
 
 『ですから、ただでとは言いません。あなたの願いをひとつだけお聞きします。ですから、自殺を思いとどまってください!』
 
 『では僕に絵を書く才能を下さい。』
 
 『それは出来ません。その方の才能は神がお決めになったものです。いっかいの天使が変えていいものではありません。』
 
 『では、ほしいものも、願いもありません・・・。』
 
 『待ってください。あなたには確かに画家としての開かれた才能があります。要はきっかけだと思うのです。』
 
 『そう言っていただけるのは嬉しいですが…。では、そのきっかけを下さい。』
 
 『それは出来ません。きっかけは神がお決めになったその方の設計書のような…。』
 
『では、もう結構です。あなたは結局何も僕のほしいものを僕に与えられない…。それでは僕の絶望は癒されない。』
 
 
きっとこのまま後方に倒れれば地面へと落ちていくだろう。
 
 
 
そっと下を見た。口の中に苦い味が広がる。
 
だか、下界を見下ろした瞬間に、ふと頭をよぎった。
 
『本物の天使を描いてみたい。』
 
画家の本能とも言うべき、欲望が湧いた。
 
『YR…』
 
『ハイ、なんでしょう!』
 
『君に絵のモデルになってほしいというのはダメだろうか・・・』
 
『え?えぇそんなことでよろしければかまいませんが…。それで自殺を思いとどまっていただけるんですか?』
 
『うん。そうだね。』
 
僕はまだ、画家であることに必死にしがみついているような気分だった。
 
 
 
家に帰ると狭い部屋は散乱した筆や絵の具で騒然としていた…。画商からの電話のあと、部屋をメチャメチャにしてしまったからだ。
 
『あ、ごめんね…。さっき散らかしちゃって汚いんだ。』
 
そう言って僕はそこらじゅうに散乱した物を片付け始めた。
 
彼女はただニコニコ笑ってそこにいた。
 
 
僕はとにかく、彼女が座れる分と自分でデッサンを出来るだけのスペースを作った。
 
 
『ここに…座ってもらえます?』
 
『ここ?ですか?』
 
『嫌ですか?』
 
『いえ、そういうわけではありません。あまり座る習慣というものがないものですから・・・。こんな感じでいいですか?』
 
そう言って彼女はひざを横に折って座った。
昔見た絵に出てきた聖母のようだった…。
 
肌も身に纏う衣も舞い落ちる雪のようで、今、自分が必死に走らせる芯で姿を紙に描きとめる事さえも彼女を汚している様な罪悪感をもたらした。
 
彼女は必死に描く僕を見たり、部屋の中を見回したりしている。
 
僕は何枚も何枚も彼女を描き続けた。
 
いくらかいても自分の納得がいくものが出来なかった。
 
描いては捨て、描いては捨てた。
 
自分の理想と現実にいら立ち、鉛筆を折ろうとした瞬間、彼女が手をそっと重ねた。
 
にっこりと微笑んだ。
 
『あきらめてはいけません。納得のいくまでお書きなさい。あなたを追いかける時間など本当は存在しないのです。追いかけているのはもう1人の自分。あせらせているのは自分。臆病になることないのです。ご自分を信じなさい。信じればいずれ辿り着きます。』
 
僕は彼女をボーッと見つめた。天使とはかくも美しく、暖かなものかと思った。
昔読んだ物語、『天女の羽衣』を思い出した。男が美しい天女を自分の元から返したくなくて羽衣を盗む物語。
 
男の気持ちが痛いほど分かってしまった。
 
 
『ありがとう・・・。』
 
 
僕は俯いてようやくその言葉だけをつたえた。
 
 
彼女はもう1度にニコリと微笑むとさっきまで座っていた場所に戻った。
 
再び僕は絵を書き始めた。じっと彼女を見つめていると気持が惹きつけられてしまう。
まるで天女に恋した男のように、彼女の羽根を奪ってこのまま手元に起きたいと思ってしまう。
しかし、そんな勇気は僕にはなかったし、神の使いに恋したらきっと罰があたるのだろう…なんとなくそんな気がした。
 
それに…彼女に拒絶されることが何より恐かった。
彼女に会えたことだけ…彼女の絵を自分が描けることだけでも自分は幸せなのだと思った。
 
何時間書き続けたのだろう。
彼女は嫌な顔1つせず、じっとそこにいる。
 
天使は疲れを知らないからかもしれないが、僕はその姿に答えようと必死に眼と紙にそれを焼き付けていった。
 
 
 
何枚目だろう…。18枚目以降はもう数えていない。
 
 
ようやく自分で納得のいくものができた。あたりは再び真っ暗になっていた。
 
『出来たよ、YR・・・。』
 
そう声をかけると彼女はそっと僕の隣りに来て絵を眺める。
 
『素敵な絵ですね…。私がモデルとは思えません。』
 
また、彼女は微笑む。
 
でも、もう僕は彼女の顔さえも見ることができなかった。これ以上彼女を目にしてしまえば僕は物語の男と同じように彼女の羽を奪ってしまいそうに思えた…。
 
『ありがとう、もう大丈夫だよ。』
 
『そうですか、それは良かった。』
 
『天国にはどうやって帰るの?』
 
『この辺で一番高い場所…あ、ほら、窓から見えるあのタワーのてっぺんまから帰るんです。』
 
『そう…。』
 
『じゃ、え…っと。そういえば私まだあなたのお名前を聞いていませんでしたね。』
 
『…。佑介。門倉佑介。』
 
『では、佑介さん。お元気で…。』
 
『うん…。』
 
『あの・・・描き損じのものでいいんで絵を1枚いただいても良いですか?』
 
『失敗したものでいいの?』
 
『ええ。記念に。』
 
『そう。』
 
僕はこっそりと自分のために描いておいたデッサンを彼女に渡した。
 
『フフフ・・・佑介さんこの絵・・・。失敗じゃないでしょ?』
 
『え?』
 
『だってこの絵、あの完成したものよりずっと優しい線だもの。』
 
『はは・・・やっぱ天使はごまかせないのか・・・。』
 
『ううん。違うの。この1日、ずっとあなたを見ていてなんとなくわかるようになったの。』
 
『そうか・・・。』
 
 
僕は涙が出そうになった。
大の大人が・・・。
そう思っても目頭が熱くなるのを感じた。
 
『佑介さん・・・。天使はたくさんの人を救うと生まれ変わることができます。私がんばりますから、生まれ変わるときは私のお父さんになってくださいね。』
 
顔をあげるとYRの頬は涙で揺れていた。
 
『ゴメンナサイ。私天使なのに・・・。
神につかえているものなのに・・・。
 
短い・・・たったこれだけの時間の間に・・・
あなたのことを好きになってしまった・・・のだとおもいます・・・。』
 
『YR・・・』
 
YRはくちびるをそっとかんだ。
 
『さようなら・・・、佑介さん・・・』
 
そう言うとYRはドアを飛び出した。
そのまま羽をはばたかせタワーに向かって飛んでいく。
 
 
 
 
 
僕は玄関に立ち尽くした。
 
 
 
 
 
ふと我に帰り、靴を履くのも忘れて雪の積もった外に飛び出した。
 
そして、全速力でタワーに向かって走り出した。
 
 
 
 
このまま、息が途切れてもかまわない。
ただ、もう1度会って想いを伝えたかった。たった一言。
 
『好きだ』と。
 
 
 
 
 
タワーが目前になる頃は息は切れ切れになり、吐く息は一際白くなっていた。
 
赤いライトがまぶしいタワーのてっぺんに白い雪に紛れて人が立っている様にも見える。
あれはYRなのだと確信する。
 
 
 
 
急いで道を渡ろうとした瞬間、右側から走ってきた赤い車に僕の身体は跳ね飛ばされた。
 
 
 
きっとこのまま死ぬのだろう。
 
死んだら彼女のいる天国に行くのだろう。
 
それも悪くないのだと思った。
 
 
 
『YR・・・』
 
前身を走る痛みの中、ようやく彼女の名前を声に出せた。しかし、そのまま、僕の記憶は途切れてしまった。
 
 
 
 
 
 
空を見上げると、雪が舞っている。
この空に翼をはためかせれば帰れるというのにひどく名残惜しい。
彼のいる世界を後にするには彼を知りすぎた・・・好きになりすぎていた。
 
『天使失格…』
 
人間を愛することはできない。
そう決められている。
きっと帰れば天使裁判にかけられ、極刑を受けるだろう。
そうすれば生まれ変わることなんてできない。
 
彼に向けた言葉は自分への気休めだった。
 
 
 
 
『YR…』
 
 
 
ゆっくりと翼を動かしはじめたとき、彼の声が聞こえた気がした。
 
あたりを見回すとタワーの下に血だらけになって横たわる彼がいた。
 
 
血の気がひく思いがした。
 
 
 
すぐさま彼のもとに飛んでいく。
 
 
 
『佑介さん、佑介さん!!』
 
必死に呼びかけた。
 
彼はピクリとも反応しない。
 
彼の手をとろうとしたとき、ザワッと寒気がした。
 
彼の右手は・・・あの美しい絵を描いていた手はグシャグシャになっていた。
きっと骨も砕けているのだろう。
 
『神よ、なぜなのですか・・・?
なぜ、私をこの者の元へつかわされたのですか?
たった1日命を延ばすためですか?
そんなに御子の生誕祭を汚されるのがおイヤなのですか?
なぜ、私だったのですか?
それとも私が彼を愛したからですか?
だからお怒りなのですか?
私のせいなのですか?
・・・教えてください・・・お願いです・・・
彼を救ってください・・・私はどうなってもいい。
例えこの身がなくなろうとも・・・。
彼の手を・・・せめて彼の命だけでもいい・・・救い下さい・・・・・・』
 
必死に空を仰ぐ。
 
 
その瞬間やわらかな光が差し込んだ。
 
『その言葉・・・二言はないか・・・。』
 
どこからか、低く重々しい、厳粛な声がする。
 
『はい・・・ありません。』
 
YRにためらいはなかった。
 
 
『よかろう・・・。』
 
さらに強い、光があたりを包む・・・。
 
光が消える瞬間、
YRはそっと
佑介に口づけをした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
佑介は誰かに呼ばれた気がして目を覚ます。
 
あたりを見回すと『Angel』と呼ばれるタワーの真下いることに気づいた。そうだ、僕は死のう(・・・)()して(・・)ここ(・・)()来たん(・・・)だ・・・。
 
身体を起こすと頬についていた水滴が流れ落ちた。
手でぬぐうと、なんとなく暖かい気がした。
なんだか大切な人が流した涙のようで訳もわからず涙が出た。
 
『生きよう』
 
死のうとしてここに来たのに、なぜか強くそう思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
あれから数年。
僕はあのクリスマスの日、死を前に描いた天使の絵が一躍注目を浴び、画家としてのチャンスをつかんだ。
それ以降、天使の画家として活躍を続けて、絵本なんかも書いている。
 
個展に来ていた僕のファンという女性と結婚もして、子供も生れた。
幸せな毎日。
死のうとしていたあのころには想像もできなかった暮らしをしている。
 
 
あの日、死ぬ前に最後にと思って描いた『遺作』がこんな形で認められたのは不思議な気分だったが…。
 
 
 
『パパ~』
 
『真雪・・・。どうした?』
 
『パパのご本読んで?』
 
『ん?またその本か?もっとたくさん本はあるだろ?』
 
『この本がいいの~。この天使さんがすきなの~。』
 
『あぁ、分かったよ。読んであげる。おいで・・・。』
 
僕は娘を膝に抱きよせた。
 
『まゆきね、この天使さんだーいすき。』
 
『そっか。そりゃパパも嬉しいな。でも、どうして?』
 
『だってママにそっくりなんだもん。』
 
『はは。そうか~。ママはもしかしたら昔、天使だったのかな~。』
 
台所から妻が出てくる。
 
『なぁに?どうしたの?』
 
『真雪が君が僕の描いた天使にそっくりだって言うからさ、ママはきっと昔、天使だったんだねって。』
 
『もう~。』
 
僕がそういうふうに茶化すのには訳があった。
彼女には昔の記憶がない。
僕と会ったとき、彼女は生れてからの一切の記憶がなかった
何でも、彼女は交通事故にあったせいでそれまでの記憶をなくしたのだという。
しかも背中の肩甲骨のところには痛々しい傷跡が残っていた。
 
まるで天使が羽を失ったように。
 
僕自身、彼女と出合ったとき、僕のデビュー作の『天使像』をみて涙を流していた彼女があまりにもその絵の天使にそっくりで驚いたのも確かだった。
 
きっと神が僕に本物の天使をつかわしたのだろうと思った。
 
 
『ほら、ご飯が冷めちゃうわよ!』
 
妻は照れて真っ赤になっている。
 
『・・・ねぇ。』
 
僕は妻を呼び止めた。
 
『なぁに?』
 
『僕らにとってクリスマスって本当に幸せの日だね。』
 
『そうね・・・何かとクリスマスが記念日ね。』
 
『真雪の誕生日。』
 
『結婚記念日。』
 
『2人が出会った日。』
 
『大丈夫。きっと神が僕らを祝福してる。』
 
『そうね・・・。』
 

僕はそっと彼女を抱きしめた。

 

FIN