ピグマリオンの恋

 

1.路地裏のかたすみ
 男は滴る汗をもう、何度ぬぐったことか。手にはもう何度も見返したしわしわの手書きの地図が握られていた。
 「本当にこの道であっているのだろうか…。もう、着いてもいいはずだが…。」
 そう言って周囲を見回すが目当ての看板は目に入らなかった。引き返そうかと機微を返すが、ふと足を止め、さっき向かっていた方向に向き直り再び歩き出した。
 男の名は染屋成吾。最近頭角をあらわした若手の日本人形師だった。彼の作る人形は全て『雪乃』となづけられ、作品はお高値で取引される売れっ子だった。
30を迎えたばかりでルックスもよく女性ファンはうなぎのぼりに増えている。そんな彼がマネージャーもつけずにこんな繁華街を越えた路地を歩いているのは「ありえない」ことだった。それに普段の彼なら歩き回る時間を惜しんで『雪乃』を作っていたことだろう。でも、そんな時間を費やしても、彼にはどうしても成し遂げたいことがあった。
 彼ほどの名誉と才能があっても成し遂げられないこと。『あの人』にしかできない奇跡をどうしても起こして欲しかった。そのためなら自分は今得ている全てのものをあの人に差し出してもいいと思った。




 彼が3度目に引き返そうと思ったその時かすかにオルゴールの音色が聞こえた。成吾がふとそちらに目を奪われるとそこにはステンドグラスがはめ込まれた小さな窓のある店があった。窓には「DOLLHOUSE IDEA」とあった。
 その文字を見つけたときの成吾の喜びようは今までになかった。普段決してはしゃぐことのない彼が今にもスッキプをしそうな勢いでドアへとかけていく。
 成吾は深く深呼吸をしてそのドアを開けた。
 カランと音がしてドアが開くと先ほどからかすかに聞こえるオルゴールの音が一機は大きくなった。窓から差し込むステンドグラスの七色の光が店内を照らしそこは不思議な空気をまとっていた。
 ぬいぐるみもあればフランス人形もあり、フィギアもあればリモコンロボットもある。最近流行の球体間接人形は妖しいまでの美しく、昔ながらのウッドドールには思わず顔が綻んだ。ありとあらゆる『人形』が置かれた店内だが人の姿はなかった。確かにここは「DOLL HOUSE」ではあるものの、狭い意味では「DOLL HOUSE」と呼んでいいものか疑問が残る。それほど多くのそして様々な人形が所狭しと並んでいるのだ。
 「いらっしゃい」
人がいないと思い込んでいたのに不意に声をかけられ成吾は飛び上がるほど驚いた。後ろを振り向くと成吾よりも少し歳の若そうな男が立っている。高そうなスーツを着てはいるものの首もとにネクタイはなく、少しだらしなく開けている。彼があの「シズキ」だろうか…。
「いまどき和服ってのも珍しいね。なんか探し物?娘さんへの誕生日プレゼントかな?」
成吾よりも背の高い彼の顔を見上げて深く息をする。
「あなたがシズキ・・・いや、倭生先生か・・・?」
男は私の顔を見ると一瞬驚いたような顔をしたがすぐふふっと笑うと「いや、違うね。」と首を振り、カウンターにあるイスに腰掛ける。
「この店のオーナーの廉だ。倭生のマネージャー&パトロン。」
「彼に会いたい。彼に合わせてくれ。」
「答えはNOだ。あんたみたいな売れっ子人形師さんが名もないDOLL作家に何のようだ?冷やかしはよそでやれよ。」
そういって彼は手でシッシッとやる。成吾は自分を知っている男の口ぶりに驚いた。そしてそれが歓迎的でないのは今の口調で明らかだ・・・。しかし、あきらめるわけにはいかない。彼に会うまで、彼の答えを聞くまで帰れない。汗を吸い込んで少し湿った手拭いをギュッと握り締める。
「その...DOLLをつくってほしいんだ。」
「だから…」
「ただのDOLLじゃないことは知っている。魔法のDOLL、奇跡のDOLL・・・。彼の人形を称する隠語は何度も聞いた。人間と見まごうほどの精巧なアンドロイド・・・。それが彼の作る、彼が本当に作るDOLL・・・。私はそれを依頼しに来た・・・。」
廉は大きなため息をつくと奥につながるドアを示した。
「ここじゃ話はできねぇから奥で聞くよ・・・。倭生もよぶ。話は二人で聞く。」
成吾はしびれるぐらいに握り締めていた手を開放した。手ににじんだ汗が空気に触れて気持ちよかった。
男はドアにかかる「OPEN」を裏返し、奥への扉を開いた。



2.人形師
 奥へと通されると少年と成年の狭間にある男が白いソファの上で本を呼んでいた。彼は人の気配にパタンと本を閉じ、置いた。

 「倭生先生、客だぜ。」
 廉は彼に対して嫌味交じりの口調で語りかける。それに反応するように彼はきっと男を見返す。
 この人がシズキなのか・・・。成吾は生唾を飲み込む。彼はふと自分のほうに向けるとはっと気付いたかのようにお辞儀をする。成吾も深々とお辞儀を返した。
 勧められたソファに腰をかけると案内してきた男も倭生の隣りに腰をおろす。

「はじめまして・・・ですね。人形師の染屋成吾さん。」
「ご存知なんて光栄です。」
「あなたを知らない人形師はもぐりでしょ?」
そういって倭生は少年のような微笑を見せる。
 「率直に申し上げます。あなたは精巧なアンドロイドを作る、命をもった人形を作ると聞いた。まるで都市伝説のように誰ともなく語り、誰ともなく知っている。だが、誰も知らない。私だって桜井氏のお嬢さんを見るまでただの噂だと思っていた。でも、彼女を見て確信したんだ。」
 彼のいう「桜井氏のお嬢さん」は3年前に事故死している。だが、氏の依頼で倭生がアンドロイドを作っていた。成吾ほどの人形師だったら普通の人が気付かないふとした人形の違和感に気付いたのかもしれない。もしくは桜井氏が口を滑らせたか、自慢したかだろう。まぁ、大方3番目だろうが・・・。
「それで?あなたほどの人形師がどんな人形を望むのです。」
「雪乃です。」
「確かあなたの作る人形の名前が・・・」

「はい。私の作る人形に命を吹き込んで欲しいのです。もともと彼女たちは1人の女性をもとに作っています。」
「昔好きだった女か?死んだ恋人か?優しい母親か?」
男が胡散臭いものを見るような目で私を見る。
「廉!ごめんなさい。ほら、廉も謝って・・・」
「いえ、彼があなたのマネージャーだというなら口をはさむ権利は大いにあるはずです。あなたに依頼する理由を言及する権利も彼にはあると思うのです。」
「わかってんじゃねぇか」
廉はソファにもたれかかると足を組みなおした。
「もう!」
倭生は廉のひざをたたく。
「雪乃は実在の女性をモデルにしたわけではありません。私の中の理想の女性をモデルにしたといえばよいでしょうか。私の描く理想的な女性・・・透き通る肌と黒い髪、血の色のような赤い唇・・・。しおらしさと艶やかさ・・・凛とした強さと果敢なさ・・・。全てを感じさせるのに主張しない。そう、古き浮世絵に描かれるような女がモデルなのです。」
「雪乃はあんたがオリジナルだぜ?オリジナルを超える人形はありえない。似せることはできても同一にも超越もできねぇ・・・あんたわかってんだろ?」

「もちろん承知しています。」
「自分の人形をアンドロイドにしてどうするつもりなんだ?」

「おかしいと・・・お笑いになるかもしれませんが・・・聞いていただけますか?」
倭生は静かにうなづいた。
 「私がまだかけ出しで無名だった頃に雪乃の第1作はできました・・・。
 かねてから自分の中に描いていた理想の女性を具現化した時、成吾は自分が震えているのを感じた。
 自分の人生の中で彼女ほど目を奪われた人はいなかった。
 その時ほど自分の才能にうぬぼれ、自分の才能の未熟さに嘆いた時はなかった。
 もっと彼女に近づけたい。居もしない女性に近づけようとしても果てなく、限界がある。だが、来日も来日も彼女を作り続けた。
 彼女の柔らかな唇を形作れば狂おしいほどのときめきを感じ、彼女の胸のふくらみにふれれば身が焼けるほどの情熱を感じた。

 私は心の中に描いた女性に・・・自分の手で作った雪乃にどうしようもないほどの愛情を抱いてしまったんです。
 何度、払拭しようとしても消えない・・・。忘れようとすると余計に思いが募っていく・・。

 だが、しょせんは人形。騙りかけても答えない、愛をささやいても顔色一つも変えない・・・。
 この世には似た人もいるはずと探し回ったが姿が似ていても彼女たちは決して雪乃にはなれなかった・・・。
 そんなとき、あなたの人形の話を聞いた・・・。本物と見まごうほどのヒトガタ。あなたなら雪乃に命を吹き込んでくれると、雪乃に命を与えてくれると思ったんです。」
 成吾は一気に語り終えると出されたお茶を飲み干した。
 「わかりました。」
 成吾は倭生の顔を見る。
「ただし、安い買い物ではありません。」
 倭生の目の色が変わる。冷たくいるような目を成吾に向ける。
「わかっています。」

 倭生の話を聞いた時から覚悟はできていた。
「私は彼女のメンテナンス的な責任は負いますがそれ以外の責任は負いません。」
 成吾は深くうなづく。
「製造に関するいかなる質問にもお答えできませんし、あなたが故意に傷をつけたものに関してはこちらでは治しかねます。DOLLを大切にしてくださること、愛して下さると誓って下さい。」
「もちろんです。彼女を、雪乃を作る上で私はどんな協力もどんな喪失もいといません。」
「そうですか・・・」
そうつぶやくと倭生はふっと微笑んだ。

 「あなたのご依頼、お受けします」


3.ニンギョウ

「何で依頼を受けた?」

廉がゆっくりと紫煙をくもらせる。

「何で?ってなんで?」

「おまえさぁ自分の立場わかってる?何で自分がアンドロイドなんて作ってんの理解してる?」

 廉はつけたばかりのタバコをもみ消す。

「わかってるよー自分のことだもん。」

「もう、あきらめろよ。期待してもダメなのは嫌というほどわかったろ?また、アンドロイドは人間に絶望し、傷ついてここに戻ってきちまうさ。加南子がそうだった。」

 加南子とは成吾の話に出てきた桜井という符号の娘を模したアンドロイドだ。彼女はあちこちに連れまわされては財力の秤にかけられ、値踏みされた。そして、それは桜井氏が自ら望んでしていることだった。はじめは娘が戻ってきたと泣いて喜んでいた桜井だったが、徐々に「よりよい娘」を強制し、アンドロイドを手にする桜井氏の財力を誇示するようになったのだ。そして加南子はそんな父親を含めた人間に絶望し戻ってきて「解体」の道を選んだのだ。桜井氏は「メンテナンス以外の責任を負わない」という契約と「アンドロイドに逃げられた」という恥からこの事実を伏せ続けいているのだ。

「染屋さんにかけてみたいんだ・・・。証明したいんだ『人間の愛情で人形は人間になれる』ってこと。ピノキオやガラテアの話は現実のものになるんだって。」

「『ガラテア』・・・ね・・・彫刻家が愛した彫像が女神の慈悲で人間になるって神話だろ?彫像の女の名が・・・ガラテア・・・。」

 倭生が戸棚の中から黒いガラス玉を取り出し、廉を映す。逆さまになった廉が足を組みなおした。

「ほら似てるじゃない。染谷さんと雪乃、ピグマリオンとガラテア・・・。いけると思うんだけどなー。」

廉が胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。

「じゃー、お前がアプロディテか?美の女神とは大きく出たな美青年!」

「ばーか。アンドロイドはまだ人形だよ。そこから人間にするのは染谷さんなの。」

「はー。全く、お前の粘り強さには感服するよ。たいしたもんだ。俺はとっくにあきらめたよ。期待しなきゃがっかりしないだろ?」

「うわー夢のない26歳-。おっさーん。」

「だまれ同級生!」

「ちがうもーん。僕はまだぴっちぴちの25歳だもーん。」

「・・・冗談抜きであんまり期待するなよ・・・。後がつらいのはお前と雪乃なんだからな・・・。」

「・・・ありがと。でも、ちょっとは信じてあげて・・・。染谷さんの本気ってやつ。」

廉は立ち上がると様々なインクで汚れたエプロンの一つを首にかけると、もう一つを倭生に向かって投げた。

「1週間で仕上げんぞ。」

エプロンをギュッと握り締めて倭生は微笑んだ。

「うん。」

天窓から差し込む光はオレンジ色を帯び、倭生の白い頬を照らしていた。





 4.雪乃

 成吾がIDEAを訪れてから2ヶ月が過ぎていた。『金は後払いにするから完成するまで決してIDEAに来ないようにしてほしい。できたら連絡するから。』そう言われたため、成吾はこの長い毎日をただじっと待つしかなかった。最近ではあの日の出来事がまるで夢だったのではないかと思うようになっていた。

「先生?」

 個展のスタッフが声をかける。

「あ、いや、すまない。何の話だったかな?」

「もう、先生本当にどうしちゃったんですか?最近はボーっとしてらっしゃることも多くって・・・。先生にはまだまだいい作品をたくさん作っていただかないと・・・。最近では雪乃をつくろうともなさらないって聞きましたわ・・・。限界を感じるのはまだは若すぎますよ。」

「そうだね・・・。」

 そう言って成吾は微笑んだ。

 そうだ・・・。まだ限界のときじゃない・・・。きっとあの日のことは夢だったんだ。また雪乃を作ろう・・・。

「先生そろそろ会場にもお顔を見せてください。みなさんおまちかねですよ。」

「わかった。今行くよ。」

そう言って成吾は控え室のイスを立った。


「今日の個展は一段と華やかねぇ。それに雪乃シリーズもどんどんと美しくなっていくようで・・・。」

 すでに常連となった何処かの議員夫人がそう言っては鮮やか過ぎるマニキュアを口元に運んでコロコロと笑う。きつ過ぎる香水に成吾はめまいがした。

「ところで、先生も水臭いですわ~。あんなに素敵な方がいらっしゃるならもっと早くご紹介して下さればいいのに・・・。」

「はぁ・・・?」

「いやですわ。雪乃のモデルの方のことですわ!私だって先生の雪乃への愛情はよくよく存じておりましたし、先生がそのモデルの方と深い関係だってこともわかっておりました。でも、私先生の『あれは頭の中にいる理想の女性がモデルです』っておっしゃっていらしたのを心から信じておりましたのに・・・。」

「はい。うそなどは申しておりません。雪乃は私の頭の中にしかいない女性ですから。」

「もう、往生際の悪い!!私お目にかかりましてよ!この会場で!!」

 まさか、昔付き合った『雪乃に似た』彼女が来たのだろうか・・・。なかには成吾の富や名声を狙ってしつこく復縁をせがんできた女たちもいた。彼女たちでも来たのだろうか・・・。

「ほら、あの方!」

 婦人が指を指す方向に目を向けると淡い水色の着物を着た女性が静かに「雪乃」を見ていた。こちらからでは背を向けていて顔まではわからなかったが確かに雪乃に似た雰囲気をもっているようだった。

「失礼します・・・」

 婦人に頭を下げると成吾は静かに人ごみを掻き分け、彼女に近づいた。小さく深呼吸をすると声をかけた。

「いかがですか?何かお気に召したものはありましたか?」

するとそれまで背を向けていた彼女がそっと振り返った。その顔を見たとき成吾は驚きのあまりに息を飲んだ。それはまさに「雪乃」だった。

 少女のような初々しさと女の艶を持った美しくそしてかわいらしいその女性は生後が思い描く「雪乃」以外の何も出もなかった。成吾は思った。「ついに自分の理想とする女性があらわれたのだ」と。だが、成吾は頭を振った。いや、今までもそうだった。姿は雪乃に似ていても中身はとんでもないあばずればかっりだった・・・。彼女もそうなのか?

「すてきなお人形ですね。とても素敵なんですが私のようなものにはとても手にすることはできません。きっと彼女が着ている着物すら私には手にもできないでしょうに・・・。」

「そんなことはありません。今日のお着物だってとても素敵なものではないですか・・・。」

「これは兄が知り合いから借りてきてくれたのです。あなたの個展に行くのだから少しはまともなものを着ていけと・・・。」

「それほどかしこまったものではないのですが・・・。ジーンズでも、スカートでも、それこそエプロン姿だっていいんです。大切なのはあなたが見に行きたいと思っていただけたことなのですから・・・。」

そういうと彼女ははにかんだような笑顔を見せた。

「よかった。次はもっといい着物を着ておいでって言われたらどうしようかと・・・。そう言っていただけるならまた、来てみようかな・・・。」

 あぁ、よかった。彼女は大丈夫だ。彼女ならきっと「雪乃」になれる!成吾は確信めいたものを感じた。

「あの、よろしければ次の個展にご招待しますので連絡先とお名前を教えてください。」

 そう言って彼女の手にをとった瞬間だった。

「いやーん。先生のナンパってベターねぇ。彼女口説こうとしてんのみえみえよぉ。」

「コラ、廉!ふざけすぎぃ!」

 成吾の背後で聞き覚えのある声がする。
 振り返るとそこには倭生と廉がいた。

「あなたたちは・・・。」
「お兄ちゃん、倭生さん!」

 そう二人が同時に声をかける。

 「お兄ちゃん・・・?ま、まさか彼女は・・・」

「遅くなってもうしわけありませんでした。先生のご依頼の品。お届けにあがりました。」

 手から伝わる彼女のぬくもり、脈、やわらかさ・・・。すべてが不確かなものになり、すべての感覚が疑わしく感じてしまう。

成吾は自分の手が一気に汗ばんでいくのがわかった。



5.小雪

 私は一先ず彼らを控え室へと通し、スタッフには大切な客だからと部屋から遠ざけた。誰もが彼女を見ると変な勘繰りをしてニコニコと笑っては「わかりました」という。このときばかりはスタッフの変な勘ぐりがありがたかった。

 控え室にはいると私はペットボトルのミネラルウォーターを一気に飲み干した。そして意を決して振り返ると彼らに詰め寄った。
「本当に彼女は・・・そ、その・・・アンドロイドなのか・・・。」

 倭生はにっこりと微笑むと「はい」とだけ答えた。
 私は全身の力が抜けたようにソファーにどさっと言う音とともにぐずれ落ちた。

 こんなことがあっていいのか・・・。あの肌の感触といい、手から伝わる鼓動といい、まさに人間そのものではないのか?彼女を見た時のときめきさえもまるで作り物のような錯覚に陥ってしまう。このような「人形」が存在するのであれば自分の作る人形のなんと子供だましのことか・・・。

「彼女は『TZ-R28』通称・小雪といいます。僕は反対したんですけどね。僕のネーミングセンスは最悪らしいので、廉がつけました。」

「ですから廉さんは私の兄なんです。名付け親なんでお父さんと呼びたいところなんですがそれはやめてくれと泣かれてしまったものですから・・・。」
彼女はそういうと廉を見てそっと微笑んだ。
「倭生さんは私の開発者、つまりマスターですが外ではマスターと呼ぶことを禁じられています。今のところ外では私は廉さんの妹として行動しています。マスターや廉さんから私はあなたのために作られたと聞きました。思考データや行動基本データもあなたがマスターに伝えた『雪乃』の理想形を元にしています。ですが、実際ご覧になってみて違和感も出てくるでしょうから、それはそのつど修正していくということです。・・・と、言っても修正は人間の反省と同じようにマスターによるプログラム修正などは必要ありませんのでご安心ください。」

彼女は一気にそこまで説明すると私の隣りにそっと移動してきた。半分こちらに身体を向けるように座りなおすとそっと私の手の上に手を重ねてきた。

「私が生まれてまだ、3日しかたっていませんが・・・その間ずっとあなたに会いたかった・・・。ずっとあなたのことだけを考えていました・・・。どんな人なんだろう・・・、優しい人かしら、怖い人かしら・・・。人形作家さんなのだから難しい人なのかしら・・・と・・・。でも、会場であなたを見つけて・・・にこやかに笑うあなたを見てうれしかった・・・。いい人だってすぐわかったから・・・。」

そういうと彼女は少しうつむいた。結った髪の合間から見える白い耳が桜色に染まっている。

「長いこと会場にいたみたいだね・・・。もっと早く声をかけてくれてもよかったのに・・・。」

そう、僕が言うと彼女は真っ赤な顔をあげて頭を振った。

「俺はめんどくさいから来てすぐお前の控え室に乗り込んでやろうって言ったんだが小雪は一目見たら今日は帰るとかいい出したんでね・・・。説得するのに苦労したんだから少しぐらい感謝してほしいものだがな?」

「もう、いいかげんにしなさい!先生スイマセン。こいつ娘を嫁に出す父親気分で絡んでるんです。ここにくるまでの間小雪の調整がてら家事とかやらせてたら愛着心が芽生えてしまったらしくて・・・。」
「こいつの制作には俺も一役かってんだから娘を持つ気分になってもいいだろうが。」

「先生これからどうします?」

「どう・・・しますといわれましても・・・。」

「小雪をどうするのかってことだよ。あんたが連れて帰るのかそれともしばらくは様子を見んのか・・・。どっちにするんだ?」

私がそっと彼女を見ると少し不安げな瞳で僕を見ていた。私は手の上に置かれた彼女の手を握った。柔らかな手の感触が心地いい。そうだ・・・。長年願い続けてきた「雪乃」がここにいる。私が呼びかけても何も答えなかった彼女が目の前でこうして私に微笑んで語りかけているのに、何をためらうことがあるんだろうか・・・。私は痛いぐらいの視線を向ける彼らに向かって頭を下げた。


「ありがとうございました。彼女は私が連れて帰り、大切にさせていただきます。これからもっともっといい作品をたくさん作ります。」

倭生はニコッと笑うと「楽しみにしています」といって席を立った。

小雪は出て行く二人に深々と頭を下げた。彼らの姿が控え室から消えると彼女はそっとにじんだ涙をぬぐった。

「先生、これからどうぞよろしくお願いします。」

そういうと彼女は僕のほうを振りかえりさっき二人を見送った時よりもさらに深く頭を下げた。

私はそんな彼女の肩を起こすと彼女に向かって頭を下げた。

「こちらこそどうぞよろしくお願いします。」

顔を上げると彼女と目が合った。何がおかしいのかわからなかったけど僕らは一緒にふき出した。そして、どちらからともなく最初のキスをした。


 6.はじまり

 「先生?」

 朝の光のまぶしさと小雪の声にけだるい朝が明けていく。

「朝ごはんできましたよ?」

「もうそんな時間かい?」

 枕もとの時計に目をやると9時を少し回っていた。いつもならとうに工房に入っている時間だった。小雪が来てからというもの全てが夢心地のようでひどくけだるく、それが心地よかった。

 小雪は髪を緩やかにバレッタで束ね、淡い浅葱色のロングスカートに白い半そでのセーターを着ていた。いつもの着物姿もいいがこういった姿も意外と似合うことに成吾は少し驚いた。

「いいね。」

「え?」

「そういう服もなかなかいい。今まで着物しか見ていなかったから・・・。なんていうかな・・・。新鮮だね。」

「もう、そんなこといっても何にも出ませんからね。」

 小雪はそういうと少し寝癖のついた私の髪をじゃれるように撫でる。まだ、数日しか過ごしていないはずなのにまるで長いこと連れ添っていたようなおかしな気分だった・・・。

「こんど和装とはちょっと違った雪乃でも作ってみよう。今日は買い物に行こう。私は女性の服の好みにはとんと疎いから、君にアドバイスをもらおうか。」

「わたしが・・・ですか?」

「うん。」

「・・・。」

「いやかい?」

 小雪は頭を振る。

「私にもお役に立てることがあるんですね。」

「君がきてから私は助かりまくりだよ。食事のたびに出前をとったり、外に出たりしなくてよくなったし、風呂を沸かすのがめんどくさくて何日も風呂に入らなくなることもなくなりそうだ・・・。なにより、一人ではなくなった。」

「先生・・・。」

 小雪はそっと私の肩に額をくっつける。

「先生、私生まれてきてよかった。作ってもらってよかった。」

「それは私のセリフだよ?本当にありがとう・・・。」



 幸せな毎日がずっと続くと信じていた。この幸せを壊すものなんて何もないと思っていた。



 7.限界?それとも・・・

 今、思えばあの頃が先生と私の最も幸福な時間だったのかもしれません。日が一日一日と過ぎるにつれ、先生はちょっとしことしたことでいらつくようになりました・・・。

 原因は「雪乃」・・・そして、私にありました・・・

「できないんだ!どうしても今までの雪乃ができないんだ!」

 そう叫ぶと成吾は雪乃の顔を彫刻刀で切りつけた。小雪はまるで自分が切りつけられたような気がして胸が痛んだ。

「先生、そんなことはありません・・・。そう根を詰めないで下さい。身体に悪いですから・・・。」

 小雪はそう言って成吾に手を差し伸べた。しかし、その手を成吾はありったけの力で振り払う。

「うるさい!お前に何がわかる!こうして目の前に『雪乃』がいるのに、私はそれを写しとることもできない!あいつは『雪乃』からお前を作ったというのに!!あいつほどの才能があれば・・・!!」

「成吾さん・・・。成吾さんとマスターは違います・・・。」

「またそれか・・・。『成吾さんとマスターは違います。』お前の言葉は私はあいつほどの才能はないといっているように聞こえるぞ!」

「そんな・・・。マスターは私の・・・。」

「マスター、マスター、マスター。お前がそう呼ぶたびにお前ほどの人形を作ったあいつのすごさを思い知らされる・・・。」

 小雪は伸ばした手を引っ込めた。再び伸ばそうと下手をまた戻すとギュッとスカートを握り締めた。

「出ってってくれ・・・。今日はお前の顔を見たくないんだ・・・。」

 小雪は膝についた砂を払って工房を出て行こうと成吾に背を向けた・・・。

「こんなことならお前を頼むんじゃなかった・・・。」

 そういうと成吾は刃先のかけた彫刻刀をボロボロになった雪乃に向かって放り投げる。

「先生は本当に・・・いえ、なんでもありません。おやすみなさい・・・。お夕食はテーブルにおいてありますから・・・。」

 雪乃は後手に工房のドアを閉めた。夜風がながれ落ちた涙を急激に冷やしていく。

 これは涙?いいえ、感情チップの信号で蒸留水が瞳の淵からあふれ出た『ニセモノ』の涙。時々自分でさえも自分が人形であることを疎ましく感じてしまう。

『こんなことなら・・・』

 あの頃は作られたことの幸せを感じていれたのに・・・。
小雪が自分が作られたのを後悔するのは初めてのことではなかった。むしろ最近は後悔してしまうことのほうが多い。

 成吾が雪乃をまた作れるようになればまたあの頃に戻れる。

 そのためには自分のがんばりどきなのだ小雪は自分に言い聞かせた。


 ドアの奥では成吾が木にのみを入れる音が響きだした・・・。

 小雪は足音を立てないように静かにその場を離れた。



 8、歩みよること

 小雪が目覚めると隣りに成吾の姿はなかった。どうやら昨日は戻ってこなかったようだった。

 小雪は深いため息を一つついた。

 「よし。」

 自分を奮い立たせるように顔をぱちっぱちっとたたく。小雪は成吾が買い与えてくれた白い着物を手際よく着付け、髪を束ねる。鏡の前でグルッと回り身支度を確認すると台所へと入っていった。タイマーで炊き上がったご飯を1つ、2つおにぎりにするとアルミで包んで小さな風呂敷に包む。

 出来上がった小さな包みを大事そうにぎゅっと抱きしめると小雪は工房へと小走りに向かった。


 工房ではまだ木をたたくノミや彫刻刀の音が響いていた。

 小雪は軽くノックすると静かに扉を開けた。

 「先生、おはようございます。朝ごはんを持ってきました。」

 その声に成吾はチラッと後ろを振り返ったが、何も言わずまた作業に没頭し始める。

 着物の袖をギュッと握り、小雪は大声を張り上げた。

 「気に入らないことがあったら口にされたらいかがですか?」

 その声の大きさに成吾は驚いたように小雪に目が釘付けになった。小雪がこんなに大きな声を出したのはここに来て初めてのことだった。

「先生は『雪乃』が作れなくなったというのは先生の勘違いだと思うんです。なぜなら私は雪乃のコピーであって雪乃を越えるものではありません。コピーはあくまでもコピーですから・・・。それはマスターにもよく言い聞かせられました・・・。先生が雪乃を作れなくなったのではなく、先生の描く雪乃の理想形をコピーが・・・つまり・・・私ですが・・・邪魔をしてるから『雪乃』という概念が崩れてしまって作れなくなってしまったのではないでしょうか・・・。イメージする雪乃と違う行動や、しぐさを見せることで先生の描く確固たる『雪乃』が不安定なものになってしまったから先生は以前のように迷いなく雪乃を形にできなくなったのだと思います・・・。」

 小雪は一気にそこまで話すと大きく息をした。そして、呆然としている成吾の下に跪いてそっと成吾の木屑で汚れた膝に手を添えた。

「先生はやさしいから私を責めようとせずにご自分を責めた・・・。私は人形です・・・。あなたの『雪乃』をこの世に生み出すために作られた人形なのです・・・。私を変えることを恐れないで下さい・・・。あなたの思うままの雪乃にしていけばよいのです・・・。私は・・・私はあなたがそうやって傷ついていくほうが苦しい・・・。最初にいったじゃないですか・・・。少しずつ私を『雪乃』にしていってくださいと・・・。」

 小雪はそう言うと成吾の膝におでこをくっつけた・・・。

 成吾は一瞬ひどく苦しい表情を見せた後、そっと小雪の頭を撫でた・・・。

「そうだね。私は少々悲観的になっていたのかもしれない・・・。人間の恋人たちにも話し合いと歩み寄りが大切だというのに、それさえもあきらめて勝手に苦しんでいた・・・。君に『雪乃』の何も伝えずに『雪乃』と違う面に戸惑っていた・・・。違和感も新鮮さの一部に押し込めて見ないフリをしていた・・・。そうすることが君にとっても私にとってもいいことなのだと勝手に思い込んでいたよ。これからは何でも君に話そう・・・。『雪乃』のこと・・・そして、私の考えていること・・・ふたりでゆっくりたった一人の『雪乃』を君の中に育てていこう・・・。」

「先生・・・。」

 小雪は成吾の膝にすがって泣いた。成吾はそんな小雪を慈しむように優しく髪を撫でる。

 小雪はふと顔を上げると涙をぬぐった。

 「朝ごはん食べましょ?昨日から何も召し上がってないからおなかすいたんじゃありません?」

 そう言って包みを差し出す。同時に成吾のおなかがグーッと音を立てる。

「そのようだね・・・。」

 成吾が照れながらおなかをさすり、互いにクスクスと笑いだす。小雪がそっと差し出した手をとって成吾は腰をあげ、ふたりは強くその手を握った。

 もう後悔はしたくない・・・互いに強く感じたことは一つのことだった。



 9、ささいな変化

「先生。お茶をお持ちしました。」
成吾はデスクに座って今度の個展の企画書に目を通していた。
「・・・あぁ、悪かったね。」
成吾は書類を机に置いた。
書類の横に日本茶と和菓子を置く。
「きれいなお菓子だね・・・。」
「えぇ、今日青泉堂さんに寄ったら新作だから感想を聞かせてほしいって・・・。なんでも菖蒲をモチーフにしているんだそうです・・・。」
「なるほど・・・もう、そんな季節か・・・。んー。今度の雪乃は菖蒲の花のように凛とした感じで作ってみようかな・・・。どう思う?」
「いいですね。今から作れば何とか今度の個展にも間に合いそうですし・・・。明日からは精のつくものたくさん作りますね。」
小雪はうれしかった。雪乃に対して意見を求められたのは初めてのことだった。
「・・・。」
成吾がじっと小雪を見つめている。
「・・・あの・・・何か?」
「雪乃はそういうことは面と向かっては言わないよ・・・。」
「え?」
成吾が大きなため息をついた。
「この前、お互いに言っていこうって言っただろ?二人で私の思い描く雪野をつくろうって。」
「あ、えぇ。」
「だから、雪乃は恩着せがましく精がつくものを作るなんて言わないよ。さりげなく気遣って何も言わずに尽くしてくれるんだ。」
「恩着せがましいなんて・・・私は恩を着せようとしていいたわけじゃ・・・。」
「だろうね。私も君がそういう意図を持って言ったとは思っていないよ。ただ、私にそう聞こえれば・・・私がそう感じれば嫌な気分になる。雪乃は気が回る女なんだ。」
 成吾の目はひどく冷たい。自分の人形を仕上げる時の目だ。厳しく人形の品定めをしているときの・・・。決して人間には向けられることのない目・・・。
 私が人形だから・・・。小雪はおもわず自分が卑屈になっていることを感じてしまった。しかし、すぐに心の中で頭を振った。今までは成吾が心にしまってしまっていたものを今は口にしてくれるようになった。私が『完成』するためには、二人に本当の幸せな時間を迎えるためには大切な一歩なのだと。
「わかりました。気をつけます。」
 小雪は深く頭を下げた。成吾はそれを見てにこやかな笑顔をみせる。
「おいしいものを頼むよ。」
 その表情に小雪はそっと胸をなでおろす。しかし、恐怖にも似た先ほどの感覚は消えない。胸に埋め込まれたポンプがドクドクと音を立てているようだ。マスターはより人間に近くと様々な機能をつけてくれた。感情にあわせて起動速度を上げるこの機能が今はひどく恨めしい。不安が何割も増している様な気になる。
 小雪はそれを押し隠すように笑顔を見せるとお辞儀をして部屋を出た。



 10、なみだ

 あの日以来成吾は少しずつ雪乃のすることに口を出すようになっていた。
 以前のように自分の殻に閉じこもって小雪を寂しがらせることはない。むしろ、彼はできる限りの時間を小雪と過ごした。増えすぎた二人の時間は時に小雪は窮屈さを感じることもあった。自分のすること全てに自信がもてず不安が募る・・・。思い切って成吾に聞いてみれば彼は決まって「雪乃はそれぐらい自分で考えてできる」の一点張りだった。
 成吾の態度が冷たくなったわけではない。むしろ、優しくなっている分、時に見せる執拗なまでの雪乃への執着が怖かった。

「それじゃぁ、私は工房に行ってくるよ。」
「わかりました。お気をつけて。」
「ありがとう。・・・そうだ、後で君もおいで。」
「ちょっと君に手伝ってもらいたいことがあるんだ。どうしても私一人では決めかねていることが会ってね・・・。」
「・・・?わかりました。食器などを片付けましたら伺います。」
「あぁ。頼むよ。」
成吾は優しい笑顔を向ける。
小雪は短いため息をついた。


「先生、参りました。」
 小雪が工房のドアを開けると雪乃の前に成吾の姿はなかった。
「先生?」
 小雪は周囲を見回すが成吾の姿はない。トイレにでもでかけたのだろうか?小雪は仕方なく小雪の前におかれた作業イスに腰をおろした。
 小雪は目の前の雪乃を見つめた。自分はこの人形を基に作られた人形・・・。自分は動けるし、話せるし、成吾を気遣うこともできる・・・。雪野にはそれができないのに決して『雪乃』には勝てない。それは成吾の中の『理想』が人形の『雪乃』ではなくより『美化』された雪乃だから・・・。自分は決して子の雪野に勝つことはないのだと小雪はよくわかっていた。それはマスターの言う『コピーはオリジナルに勝てない』という言葉とはまた違ったものだった。尽きることのない孤独と絶望感だった。自分はこの想いを胸にこのまま成吾が死ぬまでそばにいることができるのだろうか・・・。

 「来てたのかい?」
小雪が振り返ると背後に成吾が立っていた。
「雪野を見てごらん?」
成吾が雪乃を指差した。その指差すほうに雪野が目を向ける。

 ジャキン・・・。

 耳の後ろで鋭い音がした。
 一瞬何がおこったのか把握しきれない小雪だったが自分の髪を成吾が切り落したことがわかると声も出ぬままイスから転げ落ちた。
床には切り落とされた小雪の髪が無造作に散らばっている。
「先生・・・。」
 雪乃が後ずさると背中に雪乃の足がぶつかった・・・。
 成吾は小雪に静かに笑顔を向けた。
「雪乃の髪を短くしてみようと思ったんだけどね・・・。雪乃の髪を切るのはちょっと抵抗があるから君の髪で実験してみようかと思ったんだが・・・。・・・そうすると雪乃と似ても似つかないな・・・。雪乃の髪を切る参考にもならない・・・。」
成吾はつまらなそうにはさみを弄ぶ。
「そんな・・・私は雪乃をモデルに作られたアンドロイドです・・・。似ても似つかないなんて・・・。」
「・・・しょせん君は彼が作った『彼の雪乃』に過ぎないってことだよ。君がいくら『雪乃』の行動をまねしても、姿かたちが違うんじゃね・・・。髪形ってのは女性のルックスにおいて大きな意味をもつかってのがわかっただけでもよかった。それだけでも意味があったね。」
小雪の目から涙が溢れる。
「そんな・・・。どうしてそんなひどいことをするのですか?どうしてそんなひどいことを言うのですか?」
「ひどいこと?私には君がどうしてそんなことを言うのかってことのほうがわからないよ。君は私のために存在する人形だろ?私のためになっているというのになぜ泣く?君は自分の立場というのを理解できないのかい?」
 成吾はため息をつくと小雪の腕をつかんで雪乃から引き離す。さっきまで小雪が触れていた足元をほこりを払うようたたく。
 その行為がさらに小雪の自尊心をきずつける。

「あなたは自分で作り上げた心の中の雪乃を愛している・・・。あなたの愛は心の中で自己完結しているから私は入り込む隙がない・・・。私はあなたの自己完結の愛に身をすり減らしていくことにしか存在の意義をもてない。・・・愛しているのに・・・あなたに私の愛は届かない・・・。」
「愛?」
 成吾は鼻で笑う。
「しょせん作り物の愛だろ?愛とは人間や動物、生きとし生けるものだけに許されたものだろ?君のような作り物に本当の愛などは存在しないよ。」
「そんなことはないです!あなたのために全てを捧げてもいいってそう思っています。だからこそ、今まであなたのために何でもしてきたんです!」

 成吾は声を立てて笑う。

「何故そう思った?何故そうしてきた?」

「なぜ・・・って・・・?」

「君の体のどこかに埋め込まれた中枢チップが基礎データと今までのデータをもとに『そう思いなさい』『そうしなさい』と指令を出したからだろ?君はもともと私の雪乃への愛情を完結させるために作られた『恋愛すること』を前提にしたロボットなのだから私に対して『愛情』に似た感情を持つように作られている。最初から君の愛情は『ニセモノ』なんだよ。」

「ニセモノじゃない!私が今、こうしてあなたを愛しているのはうそじゃない!それがたとえ作られたものでも今こうして感じている感情にうそはない!人間だってそうでしょ?たとえうそで『愛している』と言っていたってその人へ実際愛情を感じているその瞬間は『紛れもない愛』でしょ?」

「違うよ。君の場合最初からニセモノなんだから『真実』は生まれない。」

「・・・私の愛が届かなくてもいい・・・でも、この気持ちだけは否定しないで・・・。この気持ちまでなかったことにしないで・・・。少しでいい・・・私を見て・・・」

 小雪は短くなった髪を握り締める。

「興ざめだよ・・・。君にはうんざりする・・・。そうやって私の中から雪乃を消していってどうする?私が雪乃を作れなくなっていくだけだ・・・そうか・・・君はそのために作られたのか・・・。彼は私が雪乃を作れなくなって落ちぶれていくのを待っているんだろう!君も私を気遣うフリをしながら私が雪乃を作れなくなっていくのを舌を出して笑っていたのだろう!」

「きゃっ」

成吾が振り回したはさみは小雪の頬を掠める。小雪の頬に小さな傷がつく。
小雪は成吾から離れるように後ずさっていく。

「今日、個展の主催者がこの雪乃を見てなんていったかわかるか?『以前の雪乃と感じが違いますね』って言ったんだ!お前のせいで私は以前のような雪乃を作れない!満足か?満足だろ?」
 成吾は逃げる小雪の残った長い髪をつかみ、引き上げるとはさみを入れた。小雪は引き上げていたものがなくなってどさっと床にうつぶせに落ちた。

「返せ・・・。」
冷たい目が小雪を見下す。
「雪乃から奪ったもの全てを私に返せ!」
成吾はそう叫ぶと小雪の鼻先にはさみを突きたてた・・・。

 小雪は何の反応も起こさずうつろな目で光る刃先を見つめていた。
 ドサッという音とともに成吾は腰を落とす。ハァハァと荒い息を立てながら天を仰ぐ。成吾は急にはっとしたような目をすると小雪にかけよる。

 「すまない!大丈夫か?何処か壊れたところはないか?」
ぐったりとする小雪を抱き起こすと成吾は小雪の身体についた埃を払い落とす。
「大丈夫です・・・。」
小雪は弱々しく笑うと自分を支える成吾の手に触れた。ゆっくりと立ち上がると短い髪を手串で整える。バラバラになった長さが痛々しい・・・。
「先生こそ大丈夫でした?ずいぶん気が立っておられるようでしたから・・・。」
「すまない。本当にすまないことをした・・・。君は何にも悪くないのに・・・。主催者の言葉で君に八つ当たりをしてしまった。ごめん・・・。」
「お気になさらないで・・・。おいしいものでも食べましょ?おなかが膨れれば嫌なことも忘れますから。」
 小雪は優しい笑顔で成吾を見つめる。成吾はホッとしたように小雪の膝にすがりつく。小雪はそんな成吾の頭を優しく撫でる。
「そんなにしがみついては動けませんよ。・・・さぁ、早速母屋に戻っておいしい筑前煮でも作りますか!」
成吾は微笑む小雪を見上げるとそっと手を離す。
「先生も早く片付けて帰ってきてくださいね。」
そう言うと小雪は工房を出て行った。

 成吾は小雪の出ていったドアを見つめると嘲るように鼻で笑った。


 台所に駆け込むと小雪は膝をおとした。体はガクガクと音を立ててふるえ、自分ではどうしても止められない。小雪は嗚咽を上げながら額を床にこすりつけるようにして泣いた・・・。

 自分の中に起こる感情がなんなのか小雪は知らなかった。
 怒り?悲しみ?
 
 感情だけではない自分を支えていた成吾への愛情すら説明がつけられなくなっている。

 『自分は壊れてしまったのだ』

 小雪はそう思うとさらに大きな嗚咽を上げていた。



11.昨日までとは違う朝

 小雪は鳥のさえずりの音で目が覚めた。

 昨日泣きつかれてそのまま寝てしまったらしい。
 頭が割れるように痛い。きっとコントロールパネルが焼きつきかけているのだ。小雪のように考える思考力を持つアンドロイドにとって自分を、そして主を『疑う』ことは『許容範囲外』のことだった。

 マスターに診てもらおう・・・。

 小雪は自分の中にある『理解不能』の感情のことやこの頭痛のことも、そしてこれからのことも全部ひっくるめて倭生や廉に相談しなければいけないと思った。それが『作られたもの』の義務だと思っていた。

 小雪はそのままよろよろと立ち上がると倭生のもとを目指した。

 玄関に手をかけようとした瞬間、引き戸が開いた。
 
 小雪は予想もしないことにビクッと身体を震わせる。
 そこに立っていたのは成吾だった。



12.壊れた人形

 「おはよ~。」
 倭生は眠そうに目をこすりながら階段を上がってくる。

 「まったく、お前の寝坊はお天気お姉さん以上に正確だな・・・。雨の日はまだつらいのか?」

 廉は持っていた新聞をカウンターに置くと倭生のぼさぼさの頭を撫でる。

 「まぁね。こればっかりは持病みたいなものだからね・・・。」

 「厄介なもんだな・・・。」

 廉の言葉に倭生はただ静かに微笑んだ。あきらめたような寂しい笑顔だ。


 ドンドンドン

 不意にドアをたたく音がする。

 「なんだよ、こんな時間に・・・。まだ開店前じゃないか・・・。まだ、開店前なんですけど!」

 「あの、染屋です!開けてください!」

 「あぁ?何で今ごろ?」
 廉はぶつぶつというとドアのロックとチェーンをはずす。

 ドアの前には濡れるままに走ってきたような染屋が大きな包みをもって立っていた。大きな包みは・・・ちょうど人間大の大きさ・・・。

 「まさか・・・それ・・・」

 成吾はなきそうに顔をゆがめると大事そうに包みを抱えたまま、膝をつき頭を下げた・・・。

 「助けてください・・・。」

 その後は肩を震わせ嗚咽を漏らしていた・・・。



 倭生たちは店の奥の工房まで彼を案内した。工房まで客が入ったのは今までなかったことなのだが成吾は包みを大事に抱えたまま、離そうとしないのでやむをえなかったのだ。

 「彼女をここへ・・・」
 倭生が手術台のようなベットへと案内する。倭生は大事そうに包みをそこに上げるとそっと布をはずした。

 そこにあったのは首に無残な大きな傷を負った小雪だった。

 廉は小雪を見た瞬間に成吾を殴った。

 「どういうことだ!大切にするって約束したはずだ!壊れることもある、時に停止するほどのダメージを負うやつだっている!それはこっちだって承知してるなのに作った時よりもやつれてる!首の傷だって誰かが故意にやったとしか思えない!そんなことできんのはお前ぐらいだろ!」

 まだなお成吾に詰め寄る廉を倭生が静かに制する。

 「廉、とにかく話を聞かなくちゃわからないよ・・・。話していただけますよね?どうして小雪がこんなことをしたのか・・・。」

 「「!?」」

 「どういうことだ・・・、倭生?」

 廉が倭生の腕をつかむ。

 「・・・違いますか、先生?」

 成吾は静かに小雪のそばに近寄るとそっと手に触れた。

 
「やはりあなたには何でもわかってしまうんですね・・・。」
 
小雪の傷の角度や手の硝煙反応からみて小雪が自分で首に傷をつけたんだと思ったんです・・・。」
 
 「・・・なるほど・・・。あなたは本当に彼女たちを愛しているのですね・・・。」

 「それは・・・あなたも同じだったはすではなかったんですか・・・?」

 「そう・・・ですね・・・。」

 成吾は静かに笑うと今まであったこと、そして今朝の事件をポツリポツリと話し始めた。


14.壊れる音

 予想しなかった成吾との遭遇に小雪は凍りついた。

 「成吾さん・・・。」

 成吾は大きなため息をつくと玄関の中に入り込んだ。そしてぴしゃりと引き戸を閉めると小雪に鋭い視線をぶつけた。

 「こんな朝早くにどこへ行くつもりだ・・・。しかもよく見れば昨日のカッコウのままじゃないか・・・。そんなカッコウで出歩いて恥ずかしいとは思わないのか・・・?」
 「・・・。」

 小雪は押し黙ってしまった。倭生の下へ行くといえばそれが成吾の逆鱗に触れることは間違いなかったからだ。

 「まさか買い物に行くわけでもあるまい・・・。・・・まさか・・・お前・・・。」

 成吾は肩をわなわなと振るわせ始めた。
 小雪はキッと口を結んだ。

 「成吾さんが昨日言われたように私は雪乃に似ていない気がします。成吾さんがあそこまでおっしゃるンですもの間違いはありません。きっとどこか作り違いがあったのでしょう。マスターに作り直してもらうよう直訴して・・・。うぅ。」

 小雪が言い終らないうちに成吾は小雪の胸座を絞めた。

 「お前はどこまで私の意にそうつもりなんだ!一度受け取った人形のあれが気に入らない、これが気に入らないってほざくのは決まって小さな人間ばかりだ!私にそういうやつらと同じにしたいのか?」

 成吾は言い終わるとドンと小雪を突き飛ばす。成吾は懐からはさみを取り出すと小雪の無残に短くなった髪にさらに刃をたてる。

 あたりに細かな髪が舞う。

 「少しは頭が冷えるだろう?壊れた頭をもっと冷やして考えろ!」

 そう言い放つと成吾は乱れた襟元を直す。

 「・・・・よ・・・。」

 小雪は聞き取れないほどの小さな声でつぶやく。

 「なんだと?」

 「そうよ、私は壊れてるのよ!」

 そう言って小雪は成吾の持っていたはさみを奪う。

 「なにをする!」

 成吾は顔を真っ赤にしながら吠え立てる。

 「私は壊れたの!『あなたを愛すること、従順であること』それが私に与えられた最優先事項・・・。なのにそれがもうわからない!!『あなたの望む雪乃』に近づこうとした・・・でももう無理・・・。何をめざしているのか・・・何が雪乃なのか・・・もう何もわからない・・・。あなたの言うように・・・私は失敗作だった・・・。自分でも苦しいほどわかってる・・・。マスターがきっと何処か配線を間違えたのね・・・。・・・廃棄・・・してもらわなきゃ・・・』

 そういうと小雪ははさみを首に突きたてた。


 バチッバチバチッと激しい火花と音をたてて小雪は倒れた・・・。

 そのうち小さな白煙とともに火花も音も消えた。

 成吾はしばらく呆然と小雪を見つめていた。
 動く気配のない小雪にふらふらと近づくと小さな身体をゆすった。

 「・・・こ・・・ゆき・・・」

 反応などはもちろんなく、そこには『壊れた機械』が横たわるだけだった・・・。

 「小雪・・・?」

 成吾は小雪だったはずの人形の手をとった。だが手には冷たいゴムの感触しか伝わってこなかった。

 そこでようやく、成吾は小雪のした事、そして自分のしたことを悟ったのだ。



15.コウカイ

 「我慢してんだからな・・・」
 廉はそう言うと固くこぶしを握った。

 成吾は『わかっています』とつぶやいた。
 「むしろ殴っていただいたほうがいい・・・。」

 「なっ・・・。」
 廉は成吾をにらみつける。
 
 「自分で殴ろうにも殴れませんから・・・。目が覚めて、ようやく自分のしたことのむごたらしさを実感したんです。もう、戻ることはできないというのに・・・。」

 「わかってるんなら、何でここに来た!直してもらって『はいそうですか』ってまた小雪を苦しめるのか!」

 「廉・・・。」

 「あまりにもひどいじゃないですか・・・。」

 「あぁ?」

 「苦しんだまま・・・こんな自殺みたいに終わってしまったのでは小雪がかわいそう過ぎます・・・。私は忘れてしまっていたんです。あなたとの実力の差を見せ付けられて、自分の無能さにいらだって、彼女を愛していたこと・・・そして、彼女が私を愛してくれていたことを・・・。私の元に返して欲しいとは言いません。修理代はもちろん私でお支払いします・・・だから彼女を・・・私の愛したひとを直してやってください・・・。」

 成吾は倭生に深々と頭を下げる。

 「わかりました・・・。上でお待ちください。」

 「倭生!!人がよすぎるにもほどがあるぞ!」

 「僕はこのまま彼女を掘っては置けない。先生が直すが直すまいが関係ないよ。僕が直したいんだ。」

 倭生は微笑むと小雪の短い髪をそっと撫でる。

 「ありがとうございます。」

 成吾はさっきよりもさらに深く頭を下げる。おでことひざがくっつくのはないかと思うような深いお辞儀だった。



16.かたちあるもの、ないもの

 成吾は待っている間の時間がひどく長いもののように感じた。いても立ってもいられず、そわそわと室内を歩きまわる。

 「ちょっとは落ち着けよ・・・。お前は我が子の出産を待ちわびるおやじかよ・・・。」

 廉がそう言うと成吾は恥ずかしそうに笑う。

 「・・・そう・・・かも・・・しれませんね・・・」


 リビングのドアが開くと安物のシャツを汗だくにした倭生が入ってくる。
 「終わったよ・・・」

 「それで小雪は?」
 
 成吾は倭生につかみかかりそうな勢いで近づく。

 「身体のほうは問題なく治りました。切れた配線と焼けたラバーの交換だけですから。ただ・・・。」

 「ただ?」

 「電源が・・・つまり意識スイッチが入らないんです。スイッチをオンにしても反応が出ない・・・。」

 「それは・・・?」

 「おそらく小雪本人が意識スイッチをオンにするのを拒んでいるのでしょう。例えオンになっているのだとしても自らの意思で『意識の復活』を拒否しているのだと思います・・・。」

 「・・・そう・・ですか・・・」

 成吾は倭生の肩をつかんでいた腕をだらりと落とした。


 「先生・・・この不良品を引き取ってもらえませんか?」

 倭生の目はまっすぐに成吾をとらえている。

 「倭生、お前名に言ってるんだ!」

 廉が倭生につかみかかる。

 「この不良品は意識がありません。ですが回路は間違いなく直っています。意識が戻る可能性は大きくはありませんが少なくともゼロではない。しかし、永遠に意識が回復しない可能性だってゼロではない・・・。あなたにその小さな可能性にかけて彼女に剣心的に働きかける覚悟と愛情がありますか?あるのなら彼女をあなたにお返ししたい・・・。」

 成吾は泣いていた。倭生の手をとってこぼれる涙もぬぐわずに『はい』と一言だけ、しかし、しっかりと答えた。



16.ぬくもりの場所

 「おはよう。今日は陽が暖かいから縁側に行こうか。」

 成吾は返事の返らぬ小雪に微笑んだ。そうして稚拙そうに小雪を抱えると日差しの温かい縁側にそっと座らせると自分も隣りに座る。
 小雪の白い手を手にとるとわずかに温かい。小雪のぬくもりなのか陽のぬくもりなのかわからなかったが成吾はうれしそうに指を絡ませる。


 「昨日、個展があってね。以前に私に「作風が変わった」といった人とまた会ってね・・・。覚えてるかい?彼がね、『今の僕の作品』のほうが好きだっていうんだ。前のは本当に無機質なただ単にきれいな人形でしかなかったけど今の雪乃はぬくもりがあるって心があるって言うんだ。あの時は私の視界が狭すぎて彼の言葉の意味までも聞けなかったからね・・・。ひどく後悔したよ・・・。あの時ちゃんと話を聞けていたら私たちの今はもっと変わっていたかもしれないね・・・。ははは、いけないね。後ろを振り返るのは私の悪い癖だ・・・。」

 風がそよそよと二人をなでる。

 「いま、小雪の口元が笑ったように見えた・・・光の加減・・・かな・・・。ふふふ・・・」
 そう言うと成吾はどこともなくうつろに虚空を見つめる小雪にそっと寄りかかった。

 「今日は本当に温かい・・・。まるでであったあの日みたいだ・・・。」

 そっと目を閉じると静かに寝息を立て始める。


 陽のぬくもりがいつか『本物』になる。

 今、成吾は本当にそう信じていた。

 
 


 END