久遠の嵐 2

きみという存在

 

 

結奈ははじめて訪れた婚約者の屋敷でたまらない居心地の悪さを感じていた。

「広いおうちですね」

 それがようやく振り絞って出た言葉だった。どうにかしてこの静かな空気を変えたかった。自分が物静かなお嬢様じゃないことは自分が一番よくわかっていた。どちらかといえば行動派のじゃじゃ馬だ。それがなんだって久世家との縁談が進んだのか…。

 父の考えはよく分かっていた。欲に目の眩んだ父親のことだから政略結婚以外に考えられない。父親の言うよい縁談とは『そういう』縁談なのだ。

 久世グループといえば最近起こされた会社なのに、飛ぶ鳥を落とす勢いで、しかも久世家は古くから続く名家だった。名誉と取引先を一度に手に入れようという魂胆だろう。久世家にどんなメリットがあるかわからなかったが、この縁談にはイヤな予感がしていた。

 それにしても相手の男が『氷の男』といわれる久世聖爾だなんてこの世の終わりかと思えた。笑顔もどこか冷たい印象を受ける。おまけに口を開けば言葉まであまり温かなものとはいえないものだった。

 「森川財閥のお嬢様が何を言ってらっしゃるんですか。結奈さんのおうちのほうがもっと広いでしょうに。」

 結局、がんばって口にしたお世辞も嫌味で返されてはにこにこ笑ってごまかすしかない。

  聖爾は腕の時計を見ると後ろに控えていた侍従の少女に目で合図を出す。少女の名を千珠といい、霞の一人娘で幼い頃から久世家で働いていた。今ではなくなった母に代わってこの家の一切を仕切っていた。聖爾は結奈に対して一応申し訳なさそうな顔を見せた。

 「すいません、もっとご案内して差し上げたいんですが仕事がありまして。まぁ、自由に歩き回っていただいてくださって結構ですよ。田舎の屋敷なんて楽しくもないでしょうけどね。親が急に決めた婚約ですが、悪い話ではないでしょう。うまくすれば結婚することになるでしょう。そうしたらここに住んでいただくことになりますからよく知っておいたほうがいい。」

 結奈の家は成金と呼ばれる急成長会社だ。それに対して久世家は古くからの旧家だ。格が違うとはいえ、一応は許婚。親には耳にたこができるほど『気に入られるように』といわれてきた。このまま聖爾とはなれるわけには行かなかった。

 「あ、あの、聖爾さんはすごいですね。お父様がなくなってまだ半年だというのに、お仕事…確か、元はこの辺の地主でしたよね?それを元手に会社を興して、わずかなうちにトップ企業になさって…社長として一線でお働きになってるんですから。」

 「父と同じように道楽ですよ。では、急ぎますんで。ごゆっくり。行くぞ千珠。」

 「はい。聖爾様。」

 聖爾はにっこりと微笑むと早足で玄関の方に向かった。あとから千珠がついていく。結奈はあわてて「お気をつけて。」と頭を下げた。

 すっかり社長モードに切り替わった青年は途中でぴたりと足を止めると何かに気づいたように振り返った。

 「あぁ、1つ言い忘れてました。この家は襖ばかりですが奥にたった1つだけ扉の部屋があるんです。そこにはお入りにならないほうがいい。父の遺品が散らかってますから崩れてきてたら大変です。いいですか、約束を守らない方は怪我をしてしまう事になりますからね。では、失礼。」

 一礼すると再びすたすたと歩き始めた。

 「失礼いたします。」

 聖爾の後ろを歩く少女も聖爾にあわせて礼をする。

 結奈は聖爾が向かった方向とは逆の、家の奥に向かって、さっきとはうって変わって大股で足音を立てて歩き始めた。

 「…何、あの態度、なんか気に触るのよね!!何が『森川財閥のお嬢様が何を言ってらっしゃるんですか。結奈さんのおうちのほうがもっと広いでしょうに。』よ~!家はどうせ父が一代で築き上げた成金財閥ですよ!それに『約束を守らない方は怪我をしてしまう事になりますからね。』って私は小学生じゃないのよ!!しかも、あの千珠って子!無愛想で、感じ悪いわ!!人を見下したみたいな眼して!!こっちが年上なのにぃ!!」



 気がつくと屋敷の奥の居住区に入っていた。

 「あ…あれ、やだ?いつの間にこんなとこまできたんだろ。ここどの辺?怒りに任せて歩き回ったらこんな奥にまで来ちゃった。…えぇーっと、こっちから来たんだから…こっちよね?」

 結奈は今来たはずの廊下を戻り始めるがすぐ十字に差し掛かり振り出しに戻ってしまう。

 しばらく歩き続けるが一向に玄関先に戻る気配はない。またしばらく歩くうちに扉の前へと出た。おそらく、先ほど聖爾に注意された扉の部屋の前だった。

 「あれ?やだ、こんなところ一回も通ってないわ…。どうしよう。それに確か入るなっていってた扉ってこれのことよね?・・・・・・なによ、私は子供じゃないんだから!おじ様の遺品なら別に見たっていいじゃない。散らかってて危ないってだけなんだから。それぐらい自分で気をつけられます!いいじゃない、1人でも入ってやるわ!」

 扉はギイッという音と共にその口を開けた。

 「うあぁ、薄暗くて不気味~。でも、遺品らしきものなんて何にもないじゃない。この部屋のことじゃないのかな?でも扉の部屋は屋敷に一個だけだって言ってたし…。あるとしたら…この大きな柱時計だけかしら…。」

 部屋の中には大きな柱時計がその存在を誇示していた。すでに止まっているらしく時を刻む振り子の音も針の音も聞こえなかった。

「それにしても古いわね…。」

 結奈は大時計に触れる。埃が手を白く汚した。結奈が台座の方に目線を下ろすと畳に幾筋もの引きずった後があった。それは同一方向に延びていて、どうやら時計を動かした跡のようだった。1度ではなく、何度も…。

 「…これって柱時計をずらしたあとよね…?」

 何の音もしない静かな時間がひやりと首筋をなぞる。恐いわけではない。わけもわからず不安なのだ。結奈は無理やり声を大きくする。

 「こうゆうの見ると動かしたくなるのが人間なのよね!…よしっ!…よいしょっと。」

 時計はズズズズズと畳とこすれあう音を立てながらスライドした。そこには下に続く階段が大きな口を開けた。

 「案外簡単に動いたわね…。…これ隠し階段っていうやつ?秘密の地下室じゃない!!大発見!ついでに久世家の秘宝も発見、なんてことになったらいいのになぁ。フフフ…私、こういうの大好きなのよね。」


 石壁にわずかに明けられた採光窓からはわずかな光が差し込み、やっとのこと階段を下りれる状況で、それを頼りにして少しずつ、少しずつ下におりてみる。



 一番下まで下りるとそこは階段よりさらに明るい部屋になっていた。ただそこは部屋というよりの古い牢屋だった。鉄格子と石壁に囲まれた牢がいくつかあり、その古めかしさに不釣合いな掃除道具入れのようなロッカーが2つあった。

 「石畳に、鉄格子に、小さい採光窓…。何よこれ、まるで地下牢じゃない!」

 「『まるで』じゃないよ。ここは正真正銘地下牢だよ。」

 帰ってくるはずの無いと思っていた言葉に返事が返ってきて、結奈は驚いて声の主の姿を探した。

 「誰!?」

 牢の一番奥に20ぐらいの青年がいた。粗末なベットに背中をもたれさせ本を読んでいた。

 「僕はこの牢の主人ってとこかな?」

 青年が顔をあげると、結奈はびっくりした。その顔は先ほどまで言葉を交わし、用事があると屋敷を出た聖爾そのものだったからである。

 「聖爾さん!?あなたどうしてこんな所にいるの!?」

 結奈は青年の入っている牢に近づいた。すると、牢の中の聖爾は声を立てて笑った。先ほどは口の端で笑ったりするだけで、声など立てたりしなかったのに…。

 「ははは、僕は聖爾じゃないよ。一応、『双子の兄』の籐爾だよ。」

 結奈は籐爾と名乗った青年と目線が一緒になるようにしゃがみこんだ。

 「そんな話聞いたことないわよ。」

 青年は確かに聖爾と同じ顔をしているが確かにまったく別人のような雰囲気を持っていた。籐爾は持っていた本をベットに置くと結奈の方に向き直った。

 「だろうね。聖爾が僕のこと、つまり忌み児のことをそう簡単に誰かに話すようには思えないからね。僕のことは久世家でも一部しか知らないし、知ってたとしても口にすることもタブーだからね。聞いたことなくて『当然』。ところで、君こそ、誰?聖爾がここに人をよこすなんてこと絶対しないからね。だとすると黙ってきたわけだろ?…んー、もしかして聖爾の彼女?」

 「う~ん。まぁ、そんなもん。たった『4ヶ月前』から婚約者で、名前は森川結奈よ。」

 「やっぱりね」

 籐爾は人懐っこい笑顔を浮かべた。結奈はなんとなく籐爾のいうことは本当のことなのだろうと思った。根拠は全くない。ただ、今まで生きて培ってきた感というものがそう思わせたのだ。人懐っこい籐爾には聖爾には出せなかった地の自分が出せる気がした。

 「親同士が決めただけだから…」

 「政略結婚ってヤツだ。」

 「そうよ。はっきり言うわね。思ってても口にしないものよ、そういうこと。まぁ、本当は今ごろ久世家の奥様であなたの義理の妹ってとこなんだけど…」

 「父さんが3ヶ月前に死んで結婚は延期になっちゃったんだ。」

 「別に早く結婚したいわけじゃないからいつでもいいけどね・・・。でも、あなたのお父さんは勝手に決めてさっさと死んじゃったんだから、ずるいわ。」

 なんとなく籐爾にはこんなことを言ってもいいような気になった。何も知らない、さっきあったばかりの人間なのに。

 「なるほどね。でも、いいの?聖爾に黙って来たんでしょ?案外わかっちゃうよ?ここ最近じゃ千珠しかここに出入りしないからね。」

 「千珠って聖爾の侍女の千珠?」

 結奈は聖爾の隣で表情一つ変えない千珠という少女を思い出した。はっきり言って得意なタイプではなかった。

 「うん。元々は千珠の母親の霞さんが世話してくれてたんだけど、8年ぐらい前に亡くなってね。恐かったけど今思えばあれでけっこう優しい人だったよ。母さんが死んでからはあの人が母親みたいなもんだったかな?で、そのあと千珠が仕事を引き継いだんだ。」

 結奈は今まで聞けなかった千珠の話に興味心身だった。しかし、ここで1つの疑問にぶつかった。なぜ、聖爾はああして社長として生活し、この当時はこんな薄暗い地下室での生活を余儀なくされているのか。いまいち状況がつかめなかった。

 「ねぇ、どうしてあなたこんなとこに入れられてんの?」

 「さっきも言ったろ。僕と聖爾は忌み児なんだ。」

 聞きなれない言葉に結奈は首を傾げた。

 「忌み児?2人とも?」

 籐爾はまるで子供に話し掛けるみたいにゆっくりとした口調で語りだした。

 「そう。この辺ではまだ古い風習が根強く残っててね。忌み児っていうのは双子のことで、不吉だって言われてる。」

 「だからこんなとこに閉じ込めて隠してるって言うの?じゃ、なんであなただけ閉じ込めるの?聖爾さんも忌み児なんでしょ?」 

 籐爾は悲しげな表情を浮かべると『フゥ』とため息をついて「まぁね。」と微笑む。それ以上、籐爾は何も答えない。結奈はきっと『跡取』になる駒が必要だったからだと思った。しかし、忌み児つまり『2人』ではいけない。だから閉じ込められたのは『1人』なのだと。誠一郎はそういうことをやりそうな人物だった。しかし、いくら考えても到底、現代のこととは思えず、時代錯誤な話にしか聞こえなかった。

 「本気で双子は不吉だなんていってる人がいるの?信じられない。」

 「事実、僕はここに閉じ込められてるじゃないか。」

 「寂しくないの?こんなところに1人で。」

 籐爾は少し驚いた。自分に対してそんなことを言った人間は初めてだった。霞と千珠はあまり口を利く人間じゃなかったし、母親はいつも泣いたり、謝ったりしていただけだった。籐爾はにっこりと微笑む。

 「寂しくないよ。生活に必要なものはそろってるし、食事は千珠が運んでくるからね。服も定期的に新しいものを運んでくれる。それに、友達もいる。」

 こんなところに人が来るのか。それより先ほど自分でめったなことじゃ千珠以外の人間はこないといったばかりなのに・・・。結奈は思わず聞き返す。

 「友達?」 

 「ここに住み着いてるネズミ。」

 「いやぁぁぁぁぁ!!」

 「ふっ・・・ふふ・・・ふははははははははは」

 そのときの結奈の反応が素直で『かわいい』と思った。この素直な反応がきっと『人間』というものの感情なのだろうと。籐爾は久しぶりに声を立てて笑っている自分に気づいた。何年ぶりだろう・・・。笑うのがこんなに気持ちよかったのだと籐爾は実感した。

 「なっ、何笑ってるのよ!」

 「へ、変な顔・・・」

 結奈はとっさに顔を真っ赤にし、手で顔を覆った。

 「し、失礼ね!そんなこといわないでよ!」

 結奈は力いっぱいに鉄格子を叩く。籐爾はまるで小さい子供がかわいい子をいじめるみたいな気分だった。その反応が、その怒った顔がかわいくってしょうがなかった。

 「あぁ、ごめん、ごめん。ん…どうしたの?」

 籐爾が謝ると、さっきまで真っ赤になって怒っていた結奈が穏やかな微笑を浮かべていた。

 「あなたと聖爾さん、顔はそっくりなのにぜんぜん違うなぁと思って。少なくとも、聖爾さんは心からは笑ったりしない。顔は笑っていても目は決して笑わない。人を見透かすような、見下すような、感情のない冷たい目のままよ。」

 結奈はなんだか悲しくなった。自由気ままな生活を送る冷たい心の聖爾と地価で拘束されながらも温かい心の籐爾・・・。なぜ、神はこんなことをするのだろう・・・。

 籐爾はふふっと笑う。

 「聖爾も顔はそこそこなんだから、ちゃんと笑えばもてるのにね。」

 「ちょっと、同じ顔をした人をかっこいいってほめるのって自分をかっこいいってほめてるようなもんじゃない。…それって、結構いい性格してるわよ。」

 籐爾のおかしな答えにわざと眉を寄せて言う。思いっきり嫌味を言ったつもりだった。

 「お褒めの言葉をどうも。」

 籐爾はそれを察してかわざとらしく笑顔を作る。

 「付き合ちゃいられないわ。帰る。それに、そろそろ戻んないと見つかっちゃうし。」

 結奈は立ち上がるとスカートについた埃を払い落とす。あたりには白い粉が舞い上がる。

 「ここに来たこと、誰にも言わないほうが良いよ。それにもう、ここにはこない方がいい。危険すぎる。」

 結奈はにっこりと微笑んだ。

 「わかってるわ。このことを言ったらどうなるかぐらい察しは付くもの。」

 「そう。」

 結奈はくるりと階段側へと向き直り、小走りに駆け出した。途中で少し振り返り「また来るわ。」と手を振る。やがて階段を上る刻みのいい靴音が遠ざかっていった。

 「『また来る』ね・・・。来ないほうがいいって言ってるのに・・・。まったく、聖爾の婚約者はとんだお嬢様みたいだ。」

 籐爾はいつになく自分の心が軽いのに気づいていた。ここに来ることは危険だと言いつつ、彼女が『また来る』と言うのを期待していた。

 『彼女にまた会いたい』早打つ鼓動はそう、告げていた。