久遠の嵐 1

 

心の壊れる音

雪の降る寒い夜、とある地方の良家・久世では待望の男の子が誕生し、その産声は村の隅々まで響いていた。しかし、先ほどまで出産に忙しかった妻・咲子の部屋の襖を勢いよく開けた当主・久世誠一郎の顔は血がのぼり、真っ赤になっていた。「これはどういうことだ!」

誠一郎は声を荒らげてどなる。
幸せをかみ締めていた咲子は夫の声に震え上がった。生まれたばかりの子は泣きもせずじっと母親を見ている。

 産婆の一人が誠一郎に声をかけた。
「旦那様!生まれたのは後継ぎ…」
産婆の言葉が追わぬうちに誠一郎の手は咲子の頬を打ちつけていた。咲子は自分の頬に振り下ろされた夫の手にただ呆然とした。その場にいた全ての者が呼吸さえも押し殺すかのように押し黙った。
「今はそういうことを言ってるんじゃない。どういうことだと聞いているんだ!生まれたのは双子ではないか!」
咲子の顔は青ざめている。     
「…旦那様、お許しください!この子たちは私が育てます。決して久世家に厄災をもたらすような子にはいたしません。ですから…」
誠一郎は再び手を振り下ろした。
「バカをいうな!!この家を滅ぼす気か!!忌み児はどちらも殺す、それかしきたりだ!!」
誠一郎の後から凛とした美しさの女性がそっと前へ出た。誠一郎つきの使用人・霞である。
「お言葉ですが旦那様。奥様はお体が弱く次のお子は望めません。お子が生まれたことは久世家を知る方は皆様ご存知です。近くのものは産声も聞いています。何より忌み児を殺したことで厄災が降りかかる可能性も考えられます。」
 霞の言葉に誠一郎が歯軋りをする。
「では、どうすればよいというのだ!!」
 誠一郎は近くの壁を殴りつけた。霞は顔色一つ、微動だにせずに答える。
「お子様はお一人しか生まれてなかったのです。」
「何!?」
「表向き、お子様はお一人しか生まれていなかったことにするのです。」
表情から霞の真意は読めない。それが咲子には恐ろしかった。使用人の間でも霞と誠一郎の関係は周知の事実だった。霞の結婚は関係を隠すカモフラージュだという専らのうわさだった。霞にとっては自分は邪魔な存在ではないのか。だから子供を始末しようとしているのではないか。憎らしい本妻の分身として・・・。そんな考えが頭をよぎる。霞も女だ。子供の大切さをよく知っている。名家の子息ならなおさらだ。そんなことはしない。と自分を奮い立たせる。
「霞さん、あなた何をしようとしてるの!」
誠一郎はにやりと笑う。    
「何か考えがあるようだな。良いだろう。この件はお前に一任する。要はこの久世家が安泰であればよいのだ。」
「かしこまりました」
部屋を出て行く誠一郎に部屋にいた全てのものが頭を下げる。
「霞さん・・・、あなた何を考えているの!?」
霞は下げていた頭を戻すとくるりと振り向いた。
「私だって女ですからいくら子供がいなくとも、子供を奪われる悲しみは察しが着きます。」
咲子は胸を間で下ろした。よかった。そう安堵のため息をついた。
「勘違いしないで…この子をあなたに育てさせる気はないわ…」
 霞はスッと咲子の横にいた子どもを抱き上げた。子供は急に身の上に起こった状況に驚き、泣き声を上げる。
「その子をどうするの!?」
霞は振り返ることもせずに答えた。
「地下牢に閉じ込めるのよ。殺さないだけでも感謝してほしいわ・・・」
咲子はこの家の地下にあった薄暗く、湿った牢のことを思い出した。
「地下牢なんて、そんな…。返して、その子を返して!!」
霞はその声が聞こえないかのようだった。ただ最後に小さく
「わかっているとは思いますが、このことを他言するもの、地下牢に近づこうとするものには厳重な罰を下します。そのつもりで・・・。」
と、つぶやいた。
その声を聞いた使用人や産婆たちはそそくさと部屋を後にする。誰一人咲子の方を振り返ろうとはしない。
全員が部屋を出るのを確認すると追って霞も部屋を後にする。
幼子の鳴き声がだんだん部屋から遠ざかっていった。
部屋にひとり残された咲子の目からは涙が止まらなかった。子を取られた悲しさ、悔しさもたまらなく胸を突いたが、何より牢へと連れて行かれた子のことを思うと胸が張り裂けそうだった。
「あぁ、忌み子だろうと、なんだろうと私の子には変わりはないのに…。この子たちにはもうすでに光と影の運命が定められてしまった…。久世家の嫡男としての頂点が約束されたこの子と地下で自分の存在をひた隠しにしなければならないあの子…。あの子はこの子の不幸をも背負っていきていかねばならない…誰にも知られず、誰にも愛されないなんて…せめて、私だけでもあの子を愛してあげなければ…恵まれたこの子の分までも…」
忌み子のほとんどは殺されたり、別々に養子に出されたりした。例え、その運命を逃れたとしても、別のつらく厳しい運命が待ち受けていた。
とある村の名家に生まれたこの双子にもそれぞれに暗い運命が待ち受けていた。地下に幽閉されることとなった兄は母親によって籐爾と名づけられ、薄暗い地下室の中で母親と世話係の女性以外、誰とも会うことなく育っていった。一方、弟は聖爾と名づけられは表向き久世家の一人息子として久世家の繁栄にしか興味のない父親の厳しいしつけと教育を受け、育っていった。
あの雪の日から22年後、咲子も霞ももう、この世にはいなかった。残されたのは忌み児に怯える一人の初老だけだった。誠一郎は毎日を怪しいまじないや宗教に費やしていた。久世家の事実上の当主はあの時母の元に残された赤子・聖爾が仕切っていた。
「お父さん、急な御用とは何ですか?」
聖爾は父の部屋の襖を開けた。
薄暗い部屋の隅で身体を丸くし震える男性がこちらをおぞましげに見つめていた。
「ひぃっ!なぜお前がここに…さてはわしを殺しにきたな…来るな、来るな!!」
白髪交じりの中年は必死に逃げようと壁をかきむしる。血走った瞳は見開かれ、恐怖の色に染まっていた。男は現当主、久世誠一郎だった。初老ほどに見えるのはその頭部の白髪のせいだろう。
「お父さん、私です!聖爾です!お気をしっかり!お父さん!!」
聖爾は自分の姿に他の者を見る、狂った父をゆすり動かした。徐々に誠一郎の目に冷静さが宿ってきた。
「ハァ、ハァ、ハァ…せ、聖爾か…。…部屋に入るときは許しを得てからだと教えただろうが!」
誠一郎はいつも手にしている杖を聖爾に向かって振り下ろした。聖爾はなれたように身をかがめ、バシッという音と共に杖を背中に受け止めた。聖爾はそのまま深々とお辞儀した。
「申し訳ありません。急な用事だと聞いていたものですから。」
誠一郎は何事も無かったかのように居前を正す。

 「…。うむ。そのことだが、実はあいつを外に出そうと思う。」
聖爾の眉がぴくりと動く。
「あいつ…兄さんですか?」
「兄などと呼ぶな、汚らわしい。」
「しかし、なぜ急に…」
誠一郎は襖を開けると縁側に足を運んだ。聖爾はそのままの向きだけで父を追った。
「一昨年に死んだ咲子の死に顔をお前も見ただろう。咲子はもう40を越えていたとは言え若く、美しかった。だが、死ぬ1年ほど前から、あいつはどう見ても狂っていた。霞もそうだ。まだ30もいかぬうちに死んだ。全て、あいつの呪いだ。自分を地下に閉じ込めた久世家を呪っているんだ。」
聖爾はふーっとため息をついた。父・誠一郎は何かと兄・籐爾の『呪い』を恐れた。慢性的な極度の緊張からか54歳だというのに髪は真っ白になっていた。

 「気にしすぎです。」
誠一郎はくるりと振り返ると、険しい表情で怒鳴りだした。
「では、なぜ2人は死んだのだ!!あいつを地下に閉じ込め、世話係をしていた霞、死ぬまで毎日のように通い続けた咲子!あの牢に出入りしていたものが早死にしてるんだぞ!!」
まるで聖爾は幼子を諭すように語り掛ける。
「母さんは元々体が弱かったし、霞さんも交通事故だったじゃないですか。ただの偶然ですよ。」
誠一郎は聖爾の言葉を聞こうとしないかのようにかぶりを振った。
「次はこの私だ!呪われる前にあいつを開放する!これは決定だ!!急がなければ…あいつが私を殺しにくる!!」
 瞳は見えない何かを探すようにあたりを見回すがそのうちスッと聖爾を捉える。
「いいか、あいつはお前の影武者として養子に迎えたことにする!わかったな!」
誠一郎は顔を真っ赤にし、乱暴な足取りで部屋を後にした。
誠一郎の足跡が遠ざかると聖爾は前髪をかき上げて口の端で笑った。

 

「…そんなに怒ったり怯えたり忙しいと寿命が縮んじゃいますよ?何もあなたを呪っているのはあいつだけじゃないんだし・・・。もう、そろそろ幕引きの時間かもしれませんね…ねぇ、お父さん…」