久遠の嵐 4

ネガイ

 

僕の記憶にある母は気丈で意志の強い人だった。


 ただ、いつも乱れた髪と着崩した着物を着ていたのが疑問でしょうがなかった。どうしても気になって立った一度だけ尋ねた。

 『ママ、髪がくしゃくしゃだよ?』

 そういうと母と霞さんが二人で髪を見合わせて微笑み、声をそろえてこう言った。

 『おまじないよ』

 あの時は何のことだかわからなかったが母が死んだ後で霞さんがボクらの出生の秘密と一緒に教えてくれた。

 

 『お母さんと私はホントはすごく仲がいいんだけれど仲が悪いふりをしなくてはいけなかったの。それが二人の約束だったから。お母さんは気が狂ってもいないのに気が狂ってるふりをしなくてはいけなった。そうしなければあなたに会いにこれなかったから。』

 
 「何故?」と僕が聞き返すと「地上には魔物が住んでいるから」と悲しそうに微笑んだ。

 ここに来る時の二人はいつも楽しそうだったから上で二人が仲が悪そうにしているのは想像できなかった。でも「秘密」なのだという。


 たった1度だけ母が泣いた時があった。
 弟の・・・聖爾の背中の傷に気付いた時だった。父の虐待によるものらしかった。

 『聖爾が竹刀で打たれるのを、泣き叫んで私を呼ぶのを私は見てみぬふりをするしかなかった・・・。』

 霞さんが石畳を打ち付けるこぶしを止める。
 『しょうがないじゃない。あなたは狂ってる人間なのだからあそこで止めに入ってしまってはもう『ふり』はできない・・・。正気に戻ったといわれてここには来れなくなってしまう・・・。これからも気付いたら私が止めるから・・・。』

 『ねぇ、霞、本当にあの子は恵まれているのかしら?たとえ権力や地位があっても恵まれてるといえるかしら?・・・でも、当時は私を失えば何もなくなってしまう・・・聖爾の方がほんのわずかでも恵まれていると思いたい・・・。でなければあの子の前ですら狂っているふりをして拒絶した意味がないの・・・。』

 そう言って母は僕の手を痛いほどつかんだ・・・。


 そんな母を見て僕は気付いてしまった。そんな母を見て喜んでいる自分に。母が僕に深い愛情を注いでいることに。

 そして、母への執着にも似た独占欲と歪んだ聖爾への嫉妬心。母の愛情のたった一つの曇りの原因は『聖爾』という兄なのだと。



 それからは聖爾のお下がりだろうがなんだろうが本を読み漁った。霞さんにねだってより難しく難解なものを読んだ。幸いにも時間だけは永遠というほど有り余っていた。狭い空間の中で身体を鍛え、知識を貪り、自分の中にある聖人君子を実現化させていった。

 だが、母を亡くしてから行き場を無くした母への執着心は兄への嫉妬心と入り混じって歪んだ羨望に変わっていった。『いつか兄になりたい』と・・・。弟の全てが欲しかった・・・弟の持つ全て・・・。



 ガラン


 金属転がる音がし、僕は目を開けた。

 『あちゃ-。バケツ蹴っちゃた。』

 結奈が転がったバケツを追いかける。これの聖爾への執着心なのだろうか・・・。聖爾の婚約者だから?
 その頃生まれた狂気はうんざりするくらいに僕を憂鬱にさせる。いい加減開放されたかった。できれば彼女がそのきっかけになって欲しかった・・・。

 今までにない幸福感がその現われなのだと思いたかった・・・。決して聖爾に一泡吹かせたという幸福感なのだとは思いたくなった・・・。


 『あぁ~。起きちゃった・・・。せっかくこっそり寝顔を見ようと思ってたのになー。』

 『人の寝顔を眺めるとは崇高なご趣味ですね、お嬢様?』

 『んもう、その嫌味ったらしいのやめてよ。』

 『なにぶん牢屋生活が長くて歪んじゃったもので』

 これは事実。

 『そういう子にはこの本はあげませ-ん。』

 結奈には冗談で通じるんだ。ちょっとホッとする。

 結奈の手には『怪盗二十面相』とかかれた本がある。

 『この前言ってた本?』

 『そう!巷で評判の江戸川乱歩先生の・・・』

 『推理小説』

 『そうそれ!当時はこういうのは読んだことないって言ってたから。』

 『アリガト。』

 『広がるといいね。』

 『ん?』

 『籐爾の世界が広がるといいね。きっと籐爾の世界はこの牢獄よりもずっとずっと広いんだろうね。私の持ってる畳一畳のくらいの世界じゃなくって、きっともっと広い運だろうね。それがもっと広がるといいなぁ。』

 『お嬢様の部屋って1畳しかないの?』

 『もう!そういう意味じゃなくて・・・!』

 『わかってる。・・・わかってるよ。ありがとう・・・。捻くれもんだから素直にありがとうに辿り着けないんだ・・・。』

 『ふふ。辿り着けなくてもいいわ。私だってわかってるもの。捻くれ者なりのありがとうとか、ごめんなさいとか、愛してるがあるの・・・。私はまだ籐爾初心者だから理解しきれてないと思うけど理解してるつもりだよ?』

 結奈が微笑む。

 『自意識過剰にならない程度に勘弁してね。』

 『ふふ、今のはありがとう・・・ね?』

 
 そういうと二人で手を繋いではじめてのキスをした。

 
 どうか、かみさま・・・
 この世に神様がいればの話しで、仏様とかご先祖様でもいい。まぁご先祖様は僕に非協力的なので他の何かすごい人でいいです。

 
 彼女だけは母のように僕から奪ったりしないで下さい。

 弟への執着心も嫉妬心ももういりません。

 だから、このまま牢獄でもいいから彼女を足を、想いを止めないで・・・。